早尾
【はやお】

旧国名:肥後
八代(やつしろ)平野東部,油谷山(鞍岳)・荒尾山・草場城山・大王山に囲まれ,各谷間から流れる油谷川・瀬戸口川・山口川などの流域に位置する。地名は,集落を抱く尾根が谷間にかけて急峻であることから,傾斜の早い尾根の意で早尾と称されるようになったという。弥生時代の住居跡を有する平原竪穴遺跡群,小割石積竪穴石室に舟形石棺を納める大王山古墳第3号(県史跡)がある。平原窯跡からは登窯4基が発掘されており,いずれも奈良中期の平原寺院の布目瓦・平瓦・丸瓦で,窯は地下式無階有段登窯(有牀)であった。草場城には天正年間頃に平家の臣伊賀野十兵衛宗清の子孫伊賀野次郎・三郎が居城し,島津勢に攻められ討死したという(肥後国誌)。地内は7つのホリに分かれ,ホリごとに冠婚葬祭・手間替(労力交換)の共同生活を営み,ホリごとに薬師・観音などの社があり,それぞれ免田を有し,その収穫を社の管理費・祭りの費用にあてた。小村今宮については,正平3年9月日の恵良惟澄軍忠状(阿蘇文書/大日古13‐1)に「今宮要害之時,御方人々相共日々合戦……其後頼尚義直分八代南北,以和談義,今宮荒尾二ケ所御方城迦之畢」とあり,当地に城郭が構えられ,合戦が行われている。
【早尾村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【早尾(近代)】 明治22年~現在の宮原町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7227203 |





