原万田
【はらまんだ】

旧国名:肥後
中世には万田原(まんだわら)と称した。袴岳の西部に位置する。地形は万田から続くなだらかな丘状地もしくは平地で,地名はこの地形にちなむと思われる。万田原の地名の初見は,天文23年に書写され,以後書き継がれた野原八幡宮祭事簿(野原八幡宮文書/県史料中世1)で,延文5年の項に「万田原之法蓮」とある。南北朝期には「万田殿」の支配下にあって,万田の一集落として野原八幡宮の御祭礼頭人と大行事役を勤仕している。同文書では,応仁2年に万田が万田村となったこともあって,原万田の呼称は明応2年以後なくなり,万田法蓮などのように呼称されている。また八幡宮祭礼勤仕屋敷の屋敷のうちの田次郎丸屋敷については,現在原万田字浦田の東光寺薬師堂に館跡が残る。跡地には二重の周濠が見られ,周辺に十数基の古塔や五輪塔残欠がある。なお東光寺薬師堂厨子の背後の墨書銘に永正6年に東光寺が創建されたことや田次郎丸一族の持仏堂であったことが記されている。野原八幡宮祭事簿によれば,田次郎丸は自分の祭事役を勤仕するとともに,「田原分」の不勤仕を肩替りし,また寛永末年までに17回の御祭礼頭人役を勤仕していることから,小代氏の配下で当地一帯の有力名主もしくは在地小領主層かと思われる。なお田次郎丸屋敷跡は,「郡村誌」には袴岳の城主の常の屋敷と見え,周辺には古墳群がある。
【原万田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【原万田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7227224 |





