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東正保村
【ひがししょうほむら】


旧国名:肥後

(近世)江戸期~明治7年の村名。飽田(あきた)郡のうち。熊本平野南部,白川下流左岸に位置する。熊本藩領。村高は「旧高旧領」263石余。もとは正保村の一部。正保村は寛永年間の地撫帳(県立図書館蔵文書)では東西に分かれ,東正保村の高は690石余で,権藤(ごんどう)手永に属している(飽田町誌)。「肥後国誌」によれば,横手手永の正保村に「里俗東正保村ト云」と見え,高426石余,小村に桂林村・中原村・前村などがある。なお同書に正福寺跡観音堂が見える。正福寺は戦国期に栄えたが,江戸初期には廃絶して観音堂だけになったらしく,「国郡一統志」の東正保村の項には,すでに観音とのみ記されている。熊本県を経て,明治5年白川県に所属。同7年の戸数32・人口137,田畑反別16町9反余,受藪反別2反余(同前)。同年八分字(はふじ)村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7227273