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豊後街道
【ぶんごかいどう】


熊本城下から阿蘇山を越え,豊後の鶴崎(大分市)に通じた街道。肥後四街道の1つ。熊本城下札の辻(新町1丁目)を起点に,藤崎台を経て京町で豊前(小倉)街道と分かれ,立田口(東坪井の赤鳥居)番所,子飼を経てほぼ国道57号沿いに菊池郡大津町に入り,北東へ清正公道の凹道を上り,二重峠で阿蘇西外輪山を越え,峠から車帰坂を下り,阿蘇郡阿蘇町的石に至り,的石から阿蘇谷の内牧(阿蘇町)に入る。江戸期は内牧城跡の本丸にお茶屋を建て藩主の宿泊所にあて,家老以上のお客屋などがあった。内牧から阿蘇郡一の宮町坂梨のお茶屋を経て阿蘇東外輪山を越え,すそ野伝いに小地野の笹倉(波野村)から豊後に入り,久住・野津原を通り鶴崎に達する。大坂と熊本を結ぶ重要なルートとしてその整備に力が注がれ,加藤清正は天正16年の肥後入国以来この街道を往復,細川氏の参勤交代路ともなった。街道沿線には,熊本市黒髪5丁目の一里木から鶴崎の三十一里木まで,里数木として榎が植えられ,二里木・三里木などの地名が残る。熊本市浄行寺から大津を経て二重峠まで並木が続き,現在も大津街道の杉並木として残る。笹倉―大利―久住沿道の赤松並木も,昭和20年頃まで残っていた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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