辺田見
【へたみ】

旧国名:肥後
熊本平野から益城(ましき)低山地にかけての御船川流域に位置する。右岸に辺田見山,左岸には駒返山・盗人塚山がある。慶長年間に加藤清正が掘削したという若宮堰があり,御船平野を潤して矢形川に合流する。地名は平野部から山間部に移る地形にちなむという。縄文時代の中辺田見貝塚のほか,東禅寺1号墳・2号墳がある。また天文10年御船城主となった甲斐宗運は,辺田見原に家臣を移住させ,九十九小路と称して武家屋敷を配置させて外敵に備えるとともに武芸の修練場を造ったといい,古屋敷・梅屋敷・馬場などの地名が残る。甲斐山には甲斐宗運の墓と供養石仏2基があり,嘉永井手を開削した木倉手永惣庄屋光永平蔵の墓や阿部一族残孫の墓などが残存する。なお嘉永元年に種山石工たちが架けた御船川眼鏡橋があり,御船川や若宮淵・駒返山・盗人塚山は,明治10年の西南戦争で地元熊本隊士らが死守した激戦地跡として知られる。
【辺田見村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【辺田見(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7227593 |





