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南関手永
【みなみのせきてなが】


旧国名:肥後

(近世)江戸期の熊本藩の手永名。玉名郡のうち。近代以降は地名が南関(なんかん)と称されることから,手永名も「なんかんてなが」と一般に称される。志柿手永・吉地市左衛門手永および関市郎兵衛手永を統合して成立。延宝3年の惣庄屋知行年々物成帳(県立図書館蔵文書)に,新たに知行50石の惣庄屋として南関七郎右衛門の名が見える。「肥集録」による構成村は,久重・高久野・宮尾(宮ノ尾)・今・中林・苧生田・平野・大田黒・小原・肥猪東・田原・南田原・石尾・福山・岩・上岩・野田・上太田黒(上大田黒)・上津原・肥猪・肥猪中・相谷・板楠・上板楠・和仁・上和仁・中和仁・山十町(山拾町)・中十町(中拾町)・上十町(上拾町)・吉地・東吉地・関・関東・関外目・関下・北関・田町分・楮原・下原・坂上・東坂上・赤坂・庄寺・安原・東今・上田原・柿原・上長田・下長田・山口と関町・肥猪町の2町51か村(肥後国地誌集)。また江戸後期の諸郡村附帳(圭室家文書)では,北関・肥猪中・下原・田原分の4か村が見えず,計2町46か村となっている。総高は,「肥集録」で2万3,575石余,「肥後国誌」では2万3,672石余。会所は関町に置かれた。惣庄屋は,初期は志柿氏以外の本姓は不明であるが,宝暦8年まで南関を名字とする河野氏が世襲,以降は免役・所替えによる一代限りの交替がほとんどであった(肥後読史総覧)。明治3年廃止。現在の三加和町全域・南関町北西部にあたる地域。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7227899