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安巳橋通町
【やすみばしどおりちょう】


(近代)明治12年~昭和40年の町名。はじめ熊本区,明治22年からは熊本市の町名。通り名は「あんせいばしどおり」と称され,町名も「あんせいばしどおりちょう」とも称された。旧熊本城下高田原の武家地跡に起立した町。白川に架かる安巳橋西詰から東西の町。町名は,安政4年の巳年,白川に架設された安巳橋(安政橋)に由来する。当時熊本の南部から城下に入る木山往還は,同橋を通っており,交通の要衝となっていた。そのため明治10年の西南戦争では薩摩軍が砲塁を築き,4月8日籠城の政府軍の突囲隊が援軍との連絡を図るため薩摩軍砲塁突破を敢行し,激戦を交じえた。明治12年日本聖公会熊本聖三一教会が町内に設けられた。明治40年大日本軌道の軽便鉄道が安巳橋~水前寺間をはじめて走り,同44年には上熊本を起点に新市街から安巳橋に至る路線が開通,安巳橋通りは西部(古町)と東部(坪井・水前寺)を結び,東部発展の先駆けとなった。大正14年百貨店千徳が開店し,当町は上通に次ぐ繁華商店街となったが,昭和20年7月千徳が空襲で焼失し,第2次大戦後は下通商店街ににぎわいは移った。明治16年の戸数123・人口507,民有耕宅地面積2町2反余(県公文類纂/県立図書館蔵文書)。戸数・人口は,同33年195・739,同40年141・680,大正2年147・717。昭和35年の世帯数172・人口757。同40年安政町となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7228099