立願寺
【りゅうがんじ】

旧国名:肥後
菊池川支流繁根木(はねぎ)川下流右岸に位置する。小岱山南東麓の立願寺の台地は白鳳期から平安中期にかけて玉名郡衙の所在地であった。上立願寺の集落のある字石丸は郡家跡,その東の字塔の尾の丘に郡寺(立願寺廃寺)跡,さらに東の長い丘の字東の段・西の段に郡倉跡がある。その南に式内社疋野神社があり,承和7年官社となった。(続日本紀/国史大系)。玉名郡司日置氏の氏神と推定される。延宝4年現社地に再興されており,もとは石丸のうちにあったともみられる。「和名抄」に見える日置郷は当地付近と推定される。疋野長者の伝説があり(肥後国誌),炭焼小五郎にちなむ平安期の製鉄跡が字蛇ケ谷の奥で発掘され,長者の屋敷を想像させたのは郡倉の礎石群の焼米と考えられ,長者の残した米糠が糠峰となったと物語られたとみられる。なお郡家跡から真南に道が延び,大字中に大湊という地名があり,繁根木の稲荷山古墳上には立願寺の布目瓦と同じ瓦の建物が知られ,築地でも同種の瓦が発見された。
【立願寺(中世)】 戦国期に見える地名。
【立願寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【立願寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7228324 |





