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宇佐神宮
【うさじんぐう】


宇佐市大字南宇佐亀山に所在。祭神は,一之御殿に誉田別尊(八幡大神),二之御殿に比売大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命),三之御殿に神功皇后(息長帯姫命)を祀る。式内名神大社。豊前国の一宮。旧官幣大社。全国八幡宮の総本宮。古来,宇佐宮・八幡大菩薩・八幡三所大神・広幡八幡大神宮・宇佐八幡宮と称されたが,明治6年6月,宇佐神宮と呼ぶことに定められる。創立は,欽明天皇32年に八幡大神の神霊が出現し,聖武朝の神亀2年2月27日,現在地の亀山に一之御殿を造営し奉斎したことに始まる(扶桑略記・八幡宇佐宮御託宣集)。二之御殿は天平3年,三之御殿は弘仁14年神託により,それぞれ奉斎された。当宮は養老年間,隼人征伐の折に皇軍を助けたことにより神威を増し,天平12年藤原広嗣の乱に際して朝廷は八幡宮に祈請せしめ,乱後に封20戸を寄せ,天平18年には封400戸・水田20町を奉った(東大寺要録ほか)。奈良東大寺大仏の造立に当たり,天平勝宝元年12月,八幡神が入京し,八幡大神に一品を,比売大神に二品の神階を授けた(続日本紀)。また神護景雲3年に僧道鏡が皇位を望んだ時,和気清麻呂は当宮に祈請して神意を得,その野望を阻止したことは著名(続日本紀)。貞観2年,奈良大安寺の僧行教が京都鎮護のため,当宮の分霊を勧請したのが石清水(いわしみず)八幡宮。天長10年,和気真綱を勅使として即位の奉告をせしめてより,1代1度の奉幣使に和気氏が差遣される例(宇佐和気使)となり,昌泰元年より3年ごとに勅使を遣わす例(宇佐使)も起こった。前九年の役後の康平6年,源頼義が石清水八幡宮を鎌倉の由比郷に勧請したのが鶴岡(つるがおか)八幡宮であり,以後,八幡神は武士の崇敬を受けて各地に八幡宮を分祀,全国に普及した。なお,源平合戦の時,元暦元年7月6日,源氏に寝返った緒方惟栄(おがたこれよし)は平家一辺倒の宇佐宮を焼打ちにし,黄金御正体や文書などを奪い取った(玉葉・吾妻鏡など)。当宮の経済的基礎は,封戸・水田を基として社領は次第に増大し,「宇佐大鏡」に見える10郷3荘・本御荘18か所・散在常見名田などを総計すると1万1,161町余に及ぶ(県史料24)。これは大隅・薩摩の2国を除く九州の7国にわたる膨大な社領である。また,宇佐八幡の神宮寺である弥勒寺にも114か所の荘園があり,九州全域に分布していた(石清水文書2/大日古)。戦国期にいたり宇佐の宮寺領は次第に武士に押領され,豊臣秀吉により残る社領もすべて没収された。天正17年,黒田長政は300石の社領を寄せ,のち細川忠興は1,000石を,松平重直は700石とし,正保3年に徳川家光は朱印領1,000石を寄進した。現境内地は12万坪。社殿は元慶4年12月,勅により33年ごとに造替の制となるが,火災・兵乱で損亡を重ね,現本殿は文久元年の再建で三殿とも八幡造(国宝)。若宮御神像5体・刀剣・銅鐘・「宇佐大鏡」などは国重要文化財。例祭は3月18日。ほかに鎮疫祭(2月13日)・御田植祭(7月26日)・神幸祭(7月31~8月2日)・仲秋祭(放生会ともいう,10月10~12日)・行幸会(神護景雲元年に起こり,はじめ4年ごと,のち6年に1度行われた)などが著名。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7228981