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上義名
【かみよしみょう】


旧国名:豊後

(中世)鎌倉期~戦国末期に見える名(みよう)の名。豊後国大分郡稙田荘(わさだのしよう)のうち。上儀名ともある。大分市南部霊山(りようぜん)周辺と考えられるが未詳。「大神氏系図」に稙田氏4代有綱が,上義名を三男有豪(または有義)に譲ったと見えるのが初見。有綱は平氏の鎮西下向に当たり,臼杵・緒方氏ら一族とともに源氏に味方し,平家を追い落とし,その恩賞として吉藤名・野津原郷を与えられたというが,裏付け史料はない。「弘安図田帳」に,稙田荘325町2反内として,「上義名五十六町六段,大輔房有秀」と見えるのが史料としては初見(大友史料3)。有秀は4代有綱から上義名を譲られたという有豪の孫に当たる。建武4年9月23日,足利尊氏は霊山寺執行職および上義名など7名の知行半分地頭職を稙田大輔房有快にもとの如く安堵した。これらは元弘3年以来領家に分付されていたもので,同年10月9日沙汰し付けられた(霊山寺文書/県史料25)。中分の時期は不詳。有快は建武年間大友氏の遵行使節等として活躍している。終見の文禄元年3月写の稙田荘名々給人注文には,「上儀名之事,七十五町にて候」とあるが,給人の名は見えない(利光文書/県史料26)。この内容は天正年間頃のものと推察され,「弘安図田帳」より18町4反の増となっている。給人が見えないのは霊山寺執行職領として存続していたためであろうか。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7229890