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飫肥街道
【おびかいどう】


佐土原(さどわら)城下から南下し,清武・山仮屋を経由して飫肥城下に至る街道。両城下の大手門間は16里24町であった。一般には清武から飫肥までをいう。佐土原から宮崎までは宮崎往還とも呼ばれた。飫肥街道はほぼ現在の国道219号と国道10号に一致する。途中にある一里松(佐土原町)は,昔ここにそびえ立つ松の木にちなむ地名で,殿様もここで一息入れて城下入りしたという。宮崎から清武へのコースは,清武町南加納で国道269号から分かれ同町中野を経由する。ここはかつての清武郷の中心地で,藩政期には飫肥藩の地頭所,明治になってからは戸長役場が置かれた。一帯に武家屋敷らしい雰囲気が漂う落ちついた土地で,伊東氏累世僑墓をはじめ安井息軒旧宅も残っている。清武からは鏡洲を経て山仮屋越えの難所である。現在の山仮屋越えとは必ずしも一致しないが,大まかには同じルートである。山仮屋関所跡の残る場所は,現在の道路より60mほど高いところで,標高400m,加江田(かえだ)川水系と広渡(ひろと)川水系の分水界に当たる。樹木に覆われた幅2m足らずの小道の傍らに,石垣の遺構や水飲場がある。かつてこの番所には13戸の番士が住み着き,出入りを取り締まったという。旧街道はここからさらに花立山(489.4m)への尾根を上り詰め,やがて一気に郷之原へ下る。この間,現街道は花立山の西麓を迂回して,宿野・坂元を経て郷之原に達する。ここから飫肥城下への道は広渡川沿いのほぼ平坦な道で,番所の置かれた立野(たての)を経て大藤(おおふじ)・内之田を通って城下に入る。先年復元した大手門の周辺には武家屋敷が残るが,飫肥の街も市民の努力により町並み保存の実があがり,一角には江戸期風町家の町並みも誕生した。訪れる観光客も増えつつある。なお,県の定める愛称ロードの飫肥街道は,日南市と都城市を結ぶもので,ここで述べたものとは異なる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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