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加久藤
【かくとう】


旧国名:日向

川内(せんだい)川上流域,九州山地と霧島山に挟まれて位置し,加久藤盆地の中央部を占める。地名の由来は,古くは久藤村といい,北原氏の属城久藤城があったが,北原氏に替わって入部した島津義弘が修築を加えたことで「加」の字を加えて加久藤城としたことから起こったという(加久藤町郷土誌)。地内には東川北彦山・牧ノ原・東長江浦・西長江浦などの遺跡があり,多数の石器時代の遺物が発見されている(えびの)。加久藤神社は,藤原鎌足の勧請によって創建された三之宮の中の1つで,古くは二之宮大明神・二之宮権現社ともいい,明治元年には二宮神社,明治3年には加久藤神社と改称した(三国名勝図会・島津家文書・神社沿革伝説)。また,古代の性空上人の出水伝説が伝わる(三国名勝図会)。元亀3年におこった木崎原の戦は,伊東氏の加久藤城攻略の失敗が契機となった。地内には五穀豊穣や増産を祈願して作られた田の神(タノカンサー)像が14像ある。形も農民型・神官型・僧侶型と様々であるが,当地域は他と比べて農民型が多い。
加久藤(中世)】 戦国期に見える地名。
加久藤郷(近世)】 江戸期の郷名。
加久藤村(近代)】 明治22年~昭和30年の西諸県郡の自治体名。
加久藤町(近代)】 昭和30~41年の西諸県郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234684