川東
【かわひがし】

旧国名:日向
河東とも書いた。大淀川の支流沖水川下流域に位置する。地名の由来は,大淀川の東岸に立地することによる。市来北山新兵衛家文書や「庄内地理志」によると,平安末期頃は早水水系下流域を千町牟田と称していたようである。伴姓荒川氏由来記によると南北朝期の領主は肝付兼重で,兼重の弟ははじめ荒川弥市郎,後に兼儀と称し,応永元年川東150町を領知したという。なお島津元久は野々美谷城を陥落させ,荒川兼儀から川東150町を取り上げ,妹尾兼光に与えている。島津氏は荒川兼儀の子儀治に嘉吉元年川東の城ケ崎一村を与え,城ケ崎と名乗らせている。天文元年に河東原村は北郷氏領内であった。北郷忠相が伊東祐光と事を構えた時,忠相の命により活躍した藤井氏光には,その功によって河東原村を賜ったとある。「日向国五郡分帳」には「河東」18町と記されている。
【川東村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【川東(近代)】 明治22年~昭和44年の大字名。
【川東町(近代)】 昭和44~50年の都城市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7234804 |





