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川南
【かわみなみ】


旧国名:日向

北の名貫川と南の小丸川支流切原川に挟まれて位置し,中央部は平田川の中・上流域に当たる。川の北部地域には唐瀬原,南部地域には国光原と呼ばれる標高50m前後の火山灰の洪積台地が広がる。地名の由来は,名貫川を挟む両岸の地域が古代以来島津荘寄郡である新納(にいろ)院のうち野別府(のびゆう)と呼ばれる地域であったが,開発が進むにつれて東流する名貫川の右岸を川南,左岸を川北と呼ぶようになったことによる。地域の大部分を占める唐瀬原と国光原は,第2次大戦後における日本屈指の大開拓地である。小丸川を見下ろす字西別府の台地には国史跡の川南古墳群があり,前方後円墳13基,方形墳1基,円形墳36基を数える(川南町史)。また字湯迫(ゆざこ)には天正6年11月12日の耳川合戦の初戦となった高城の戦いでの敵味方の戦死者の霊を慰めるために建てられた国史跡の宗麟原供養塔(通称カンカン仏)がある。また,同供養塔から南方約500mの地に松山の陣跡がある。画して5塁とし,縦横に堀を掘る(日向地誌)。天正6年大友氏が日向に侵入し,10月19日高城を囲み陣をしいた。その1つが当地にあり,佐伯宗天が大将であった。11月11日島津軍の伏兵の働きで当地の陣兵は追われ,陣は焼き払われた(旧記雑録後1)。天正15年豊臣秀吉が島津氏を征さんとし,秀長が高城を攻めたが,その際羽柴下総守が当地に屯したという(日向地誌)。地域のほぼ中央にあたる湿原地は川南湿原植物群落として国天然記念物に指定され,87科263種の植物が数えられる。
川南郷(近世)】 江戸期の郷名。
川南村(近代)】 明治5~22年の村名。
川南村(近代)】 明治22年~昭和28年の児湯郡の自治体名。
川南町(近代)】 昭和28年~現在の児湯郡の自治体名。
川南(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7234805