五ケ瀬町
【ごかせちょう】

(近代)昭和31年~現在の西臼杵(にしうすき)郡の自治体名。五ケ瀬川上流から最上流域の山間に位置し,地内のほぼ中央を流れる三ケ所川が五ケ瀬川に注ぐ。地名は五ケ瀬川による。三ケ所村・鞍岡村が合併して成立。三ケ所・桑野内・鞍岡の3大字を編成。役場を三ケ所に設置。当町の発足により,行政区の改編,消防団・農協などの各種団体組合の組織改編が行われ,道路・橋梁の開設も進んだ。また茶業技術が進み,全国茶品評会で連年農林大臣賞受賞者が相次いだ。昭和35年の農家総数1,135戸,うち専業農家534戸・兼業農家601戸,経営土地面積は田4,354a・畑3,024a・茶園271a・果樹園8a・山林161a,同36年の民有有租地のうち田362.8ha・畑452.7ha・宅地45ha・山林1,771.5ha・原野1,696.8ha(県統計年鑑)。世帯数・人口は,当町発足時の昭和31年1,733・9,598,同35年1,789・9,321,同45年1,640・7,104,同55年1,538・6,034。昭和38年元旦から連日の大雪で,町の平野部で1m,鞍岡山地では2m以上の積雪があり,2月中旬まで40日間にわたり交通が途絶した。このため食糧・日用品に事欠き,急病者のために自衛隊機を要請するに至った。同41年10月町花をシャクナゲと指定し,同48年には町木をゴカセアオスギと定めた。昭和45年県立高千穂高校五ケ瀬分校および町営グラウンドが完成した。同47年8月津花峠にトンネルが開通し,高千穂地方への交通が便利となり,国道218号も改良され,延岡~熊本間の九州横断道路が河内・高森経由に変わった。同50年の民有地のうち田497ha・畑410ha・宅地60ha・山林3,024ha・原野751ha,15歳以上就業者総数3,649のうち農業2,333,林業・狩猟業239,漁業・水産養殖業2,鉱業9,建設業231,製造業77,卸売業・小売業258,運輸通信業65,サービス業328,公務96,農家総数1,003戸,うち専業農家136戸・第1種兼業農家520戸・第2種兼業農家347戸,経営耕地面積は田4万46a・畑2万4,771a・樹園地1万2,545a,昭和48年度の町民所得は総額38億円余,うち第1次産業18億円余・第2次産業7億円余・第3次産業13億円余(県統計年鑑)。同年4月町老人クラブの協力で,県内では数少ない町立民俗資料館を設置した。三ケ所盆地の中心地宮之原にある旧郷社三ケ所神社の石刻門守神像は昭和40年県文化財に指定された。同神社に隣接する浄土真宗西栄山浄専寺境内には,樹齢200年・高さ15m・幹まわり1.85mのシダレザクラがあり,同年県天然記念物に指定された。三ケ所川上流の坂本地区に,戦国期に始まるという武者装束に武器を持って踊る荒踊りが伝えられ,昭和37年県無形民俗文化財および国の記録作成等の措置を講ずべき文化財に指定された。また坂本城跡,浄土真宗炎王山専光寺がある。昭和33年10月同寺境内から宋銭が古備前焼壺6個の中から推定4万5,000枚出土した。五ケ瀬川本流の水源地白岩山の白岩山石灰岩峰植物群落は昭和17年県天然記念物に指定された。同山特有の植物60種を合わせて,444種の植物群落がある。白岩山に続く向坂山は,山容がなだらかで冬期の積雪量が多く,南国九州としては異例のスキー場建設が企画され,調査が進められている。山麓の波帰・本屋敷では,まぼろしの魚といわれるヤマメの養殖に成功して,ヤマメ料理の店「やまめの里」がある。鞍岡地区には,古武道のタイシヤ流棒術が伝承されており,同地区中央部に祇園神社(日蔭神社)と浄土真宗超耀山金光寺がある。三ケ所神社・祇園神社・古戸野神社・桑野内神社には,それぞれ特徴のある伝統神楽が伝承されている。桑野内には樺木岳城址・御番所跡があり,また三ケ所の廻淵,鞍岡の道の上にも御番所跡があるなど当地は中世以来,国境の地として重要な位置にあった。近年嗜好飲料として愛好者の増えつつあるそば焼酎やとうきび焼酎などは当地で開発され,二大メーカーの醸造工場が中心部にある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7234990 |





