100辞書・辞典一括検索

JLogos

36

西都原
【さいとばる】


西都(さいと)市中心部の妻の西方約2kmに位置する洪積台地。東西2.6km,南北4.2km,標高60~70mで,一ツ瀬川右岸の沖積地の西方に広がる。古くは斎殿原(つきどのばる)といわれ,音読して西都農原となり,西殿原,西都原に転化したもので,このことは三宅神社の旧名が,西都農神社と呼ばれたことからもうかがえる。西都市は古代日向の中心地で,西都原には古墳時代のあらゆる形式の古墳300余基が集中している。西都原が東に延びて尽きる三宅には,古代日向を統治する国衙が置かれ,国分寺・国分尼寺も建立された。西都原とその周辺は古代日向の中枢であった。西都原は地形的にみると宮崎平野の最も西側の奥まった部分に属する。九州山地との接点に近く,一ツ瀬川の沖積平野が尽きる位置にあり,古代の駅路の通過地・交通要地であった。「延喜式」によると,台地の縁辺を北から国府(西都市)まできた駅路が,2つに分かれ島津(都城市)と夷守(ひなもり)(小林市)に向かっていた。台地は標高60m前後の高位段丘面と,標高20m前後の低位段丘面からなる礫層段丘で構成され,地質的には礫・砂を含む新生代第四紀更新世の中位段丘堆積物からなり,台地面は火山灰土壌(黒褐色・茶色)に覆われている。高位・低位の両段丘面の境界付近には縄文前期の遺跡,低位の段丘面には弥生時代の遺跡が分布する。西都原古墳群311基の大部分は,標高60m前後の高位段丘面に分布し,なかでも日向第一の古墳である男狭穂塚(高さ18m,長さ219m)と,古墳中期の形式の女狭穂塚(高さ14m,長さ174m)は有名である。西都原古墳群は大正元年から学術的な大発掘調査がしばしば行われた。昭和9年には国史跡,昭和27年国特別史跡となり,昭和41年特別史跡公園として整備が進み,風土記の丘に指定された。西都原は以前は馬牧が行われていたが,第2次大戦後は一部地域に入植者が入り開拓が始められ,現在は台地の下も含め約450haの農地で約300戸の農家が桑・茶・葉煙草を中心に甘藷・サトイモ・落花生・ソルゴー,果樹のミカン・クリなどを栽培する。西都原は文化財保護法・県自然公園条例によって開発が規制され,農業にも制約が大きい。西都原は杉安峡とともに西都原杉安峡県立公園(昭和36年指定,面積8.48km(^2))を構成し,日向十景の1つともなっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235053