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志布志街道
【しぶしかいどう】


飫肥城下と志布志(鹿児島県)を結ぶ街道。島津氏が領していた時代に飫肥城と櫛間城を結んだ道路が基本となっている。日向と大隅を結ぶルートの1つでもある。飫肥城下からは楠原(くすばる)を経て,隈谷川の源流域となっている山地を越え榎原(よわら)に向かう。途中の仏坂は櫛間往還との結節点に当たるため,武士団の居住する集落であった。榎原には伊東氏の崇拝した榎原神社がある。同社は鵜戸神宮と並ぶ県南屈指の社で,榎原さん詣りで昔からにぎわった。ここから串間市への道は南郷川沿いの登りとなる。低い分水界を越すと奈留川・福島川沿いを下って串間市に達する。串間市はこの地方の要衝で,中世には野辺氏や島津氏,藩政期には秋月氏が郡代所を置いて治めた。上町から中町・今町に至る旧道沿いには今も多くの社寺が残る。今町は旧西方村の中心地で,「日向地誌」には戸数254戸とある。一帯は福島川と善田川のつくるデルタで,今町はその上に立地する港町であった。港の入口両側には船番所が置かれ,明治初期には漁船59艘,運船17艘でにぎわい,500石未満の船の造船所もあった。ここからは西へ1里31町余で志布志に達し,この街道は終わる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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