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住吉村
【すみよしむら】


(近代)明治22年~昭和32年の自治体名。はじめ北那珂郡,明治29年からは宮崎郡に所属。石崎川右岸に位置し,東は日向灘に面する。広原・島ノ内・新名爪・芳士・塩路の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。地名の由来は,住吉神社の所在による。「古事記」「日本書紀」の神功皇后三韓出兵の郷導について「日向国の橘の小戸の水底に居て,水葉も稚かに出でます神,表筒男・中筒男・底筒男の神なり」と日向住吉3神をあげており,のちに筑前・長門・摂津に神霊を分祀しているので,わが国住吉神社の宗社というべきであると伝えている。伊東義祐の「飫肥紀行」に「あはきが原の波間より顕れ出し住吉の神,住吉の里も近う見えわたり,八重の塩路の松の秋風冷々として袖吹送る」とある。この地方では今でも,朔日・15日には浜に下って身を清め,海中の砂を取って藁包に入れて持ち帰り,これを家の内外にまいて清める習俗がある。役場は島之内に置かれた。戸数660・人口3,039(男1,577・女1,462),厩512,学校4,水車場2,小船2(徴発物件一覧表)。同44年の戸数715・人口3,998。世帯数・人口は,大正9年885・4,408,昭和10年1,111・5,635,同25年1,516・7,936。大正6年の「宮崎郡治要覧」によれば,民有地のうち田600町2反余・畑287町余・宅地16万6,752坪・山林236町余・原野100町1反余,職業別人口は農業が専業1,997(男994・女1,003)・兼業620(男274・女346),商業が専業40(男19・女21)・兼業55(男20・女35),工業が専業12(男5・女7)・兼業56(男30・女26),林業はなく,漁業は兼業38(男のみ),農産物生産価額52万985円,うち米31万934円・麦3万6,218円・食用および特用農産物15万5,986円・茶733円・繭1万4,190円・果実2,924円。昭和10年の総生産額72万2,832円,うち農産59万5,516円・蚕糸2万6,717円・畜産2万2,501円・林産2万1,241円・水産2,096円・工産5万4,761円,民有有租地のうち田669町5反・畑399町8反・宅地58町8反・山林171町6反・原野85町1反,耕地面積1,121町6反,うち田680町6反・畑441町(県統計書)。昭和25年度の総生産額1億7,385万円余,うち農産1億3,763万円余・養蚕4万円余・畜産403万円余・林産1,195万円余・水産143万円余・工産1,875万円余,同年の民有有租地のうち田671町・畑425町8反・宅地64町・山林143町2反・原野82町6反,総農家数1,186戸,うち専業農家809戸・兼業農家377戸,農用地総面積1,058町3反,うち田609町5反・畑377町2反・樹園地2町8反・その他68町8反(県統計年鑑)。昭和32年宮崎市の一部となり,村制時の5大字は同市の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235288