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高千穂
【たかちほ】


旧国名:日向

九州山地中央部,五ケ瀬川上流域の山間地に位置する。北は祖母山・古祖母山・本谷山,東は本谷山から南下する乙野山・二ツ岳・大平山,南は諸塚山など1,000~1,700mの山々に囲まれ,西は阿蘇外輪山山麓がせまっている。これらの山々の中心部が高千穂盆地になっており,その中央をこれらの山岳地帯を水源とする五ケ瀬川が東流し,やがて延岡で日向灘に注ぐ。地内の五ケ瀬川には随所に深淵があり,両岸は50~80mの断崖となり,柱状節理を呈する一大渓谷となり,五ケ瀬川峡谷(通称高千穂峡)として国名勝および天然記念物に指定されている。高千穂の名は,古くから郷名として扱われていたと推定されるが,和銅年間ごろから用いられた「国郡郷の名を好字二字」とする制により,「智保郷」と称されるようになったといわれる。これ以後,三田井の高千穂神社の神名として「続日本後紀」に高智保皇神,「三代実録」に高智保神と,その名が残されている。地名の由来は天孫降臨神話と結びつけられている。すなわち,天孫瓊瓊杵尊が高千穂峰(二上峰)に降臨の際,霧がたちこめて視界が悪く方向を見失って困っていたところ,当地の土酋土蜘蛛の進言により,稲千穂を抜いて籾となし尊の手で四方に投げ散らしたら,霧が晴れて無事に高千穂に着くことができたといい,この稲千穂の故事によって,美称の高を付して高千穂というようになったと伝えている。このことから,高千穂は「古事記」にいう天照大神の孫瓊瓊杵尊が高千穂峰に天下ってより,尊4代の孫神武天皇が高千穂宮から東征の途につくまで,わが国の創世神話の上で重要な位置を占めている。また明治政府が定めた建国祝日の紀元節には,「雲にそびゆる高千穂の……」と歌われ,第2次大戦までは広く全国の人々に親しまれた地名であった。
高知尾荘(中世)】 鎌倉期~室町期に見える荘園名。
高千穂(近世)】 江戸期の広域地名。
高千穂村(近代)】 明治22年~大正9年の西臼杵郡の自治体名。
高千穂町(近代)】 大正9年~現在の西臼杵郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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