殿所
【とのところ】

旧国名:日向
「とんところ」ともいう。東の広渡川と西の酒谷川とに挟まれて位置し,西は中ノ尾嶺を負い,地勢は東西に短かく南北に長い。畑作を主体とする農村地帯。地名の由来はつまびらかでないが,飫肥城の東方に近接して立地していることから領主の居所と関連があるともいわれている。地内中ノ尾嶺には首塚があり,天文18年に伊東勢が飫肥城攻略のため同地の砦にこもったが,逆に島津方の攻撃をうけ伊東勢の戦死者300余人の首を埋め葬ったもので島津方の僧徒が創建した石碑が残る。この石碑は舟形光背状につくられ,蓮華座から上の高さ約120cm,下部の幅約52cm,厚さ約30cmで,昭和9年中ノ尾供養碑として国史跡に指定された。正面には地蔵像が刻まれ,「造作五逆罪 常念地蔵尊 遊戯諸地蔵 大悲代受若 天文己酉十八年十一月十六日 本願朝遍一結衆敬白」とあり,また向かって右側には「天文十八年卯月二日 当陣攻落」,向かって左側には「山東軍兵三百余人打死為之尊容也」と銘が刻まれている。
【殿所村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【殿所(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7235568 |





