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七折
【ななおり】


旧国名:日向

五ケ瀬川の上流域,九州山地の一部をなす山間地に位置する。五ケ瀬川は南端を西から東へと蛇行し,地内の中央部には五ケ瀬川の支流日之影川・長谷川が流れ,東端には綱ノ瀬川が流れる。北西部には猿岳をはじめ大平岳・上野岳など800m前後の山々が連なり,北部には戸川岳・釣鐘山,東部には丹助岳・矢筈岳・比叡山などがそびえる。上野山には当地から岩戸(高千穂町)へ抜ける熊本往還の峠(上野峠)があり,この峠の岩戸側の峠道が七曲がりになっているため七折峠と呼ばれ,この峠の名から当地名が起こったと伝える。日之影川と綱ノ瀬川の間の標高1,396mの釣鐘山は,非常に峻嶮で岩石が多く,さらに釣鐘山から日隠山・五葉岳と高山が続く。丹助岳は標高がわずかに816mと当地方では低い山だが,群少の山岳地帯に屹立し,山頂部は鋭い岩峰をなしており,景勝地となっている。これと一連の山地をなして当地の東端部にそびえるのが矢筈岳で,綱ノ瀬川対岸の比叡山とともに鋭い岩峰と深い峡谷からなる壮大な景観をみせる。これら釣鐘山・丹助岳・矢筈岳・比叡山などの山々は,昭和33年には県立公園となり,同40年には祖母傾(そぼかたむき)国定公園に指定された。また,このうち比叡山および矢筈岳は昭和14年国名勝に指定されている。地内には字鳥越に円墳2基・横穴古墳3基,辻に横穴5基,平清水に横穴3基の計13基の古墳があり,七折古墳として県史跡に指定されている。しかし,現在はその形跡をとどめないものもある。五輪塔や宝塔・宝篋印塔は数多く残存し,中でも東深角の宝篋印塔は保存が良く,塔高140cm,基礎に「予修逆修 文安四年仲春十九日」の文字があり,本県では最も古い年号の塔である。また西深角には,自然石板碑の幅1m・高さ1.5mの線刻地蔵碑があり,弘治3年の文字が見える。平清水・平底・鹿川には五輪塔が数基ずつ,椎屋・鹿川・川中には宝塔が数基ずつ見られる。一の水の四角形の六地蔵幢も,室町期のものと思われる。上野岳中腹には石灰岩を浸食した七折鍾乳洞があり,放射状に伸びた針状鍾乳石や洞穴サンゴ・氷柱石・石柱・石筍などの沈殿物がよく発達しており,昭和8年国天然記念物に指定された。村名が文献に見えるのは,天正18年の「竿前御改書上帳写」(矢津田文書)で,「高三百七十六石余 七折下」とあるのがはじめのようであるが,この書上帳には,七折のほかに,「一,高百三石余 船野尾」「一,同十七石余 鹿川」「一,同六十三石余 宮水」と,現在七折村の集落である船の尾・鹿川・宮水が村名としてあがっており,その石高合計は559石余となる。天正年間以前は高千穂領主高千穂氏(後三田井氏と改める)の所領で,七折村は同氏の家老職甲斐氏の支配下にあった。甲斐氏は宮水におり,その館を「かこい」といい,屋敷まわりを空堀がめぐっていた。遺構の一部は現存している。豊臣秀吉の九州仕置後,延岡領主になった高橋元種は,臣従しない三田井氏を討つべく三田井氏の主席家老岩井川中崎城主甲斐宗摂を脅迫して寝返らせ,天正19年9月不意に三田井氏の本城仲山城を急襲して,領主三田井親武を殺す。その首を実検に入れるため,船の尾の高橋本陣に運ぶ途中七折村宮水で急に首が重くなり持てないので,高橋が宮水まで出張して首実検したのを住民が貰い受け,宮水に葬ったと伝える。これによって高千穂は延岡藩の支配下になるが,三田井氏の遺臣の中にはなおも臣従しない者があるので,慶長3年元種は兵を派して,高千穂の有力者七折の甲斐氏,岩戸の富高氏を攻めて殺し,残存の三田井氏遺児を七折村の平清水に蟄居させる。その後元和3年三田井氏の遺児2人は乱死し,女子は暗殺され三田井氏は滅亡した。
七折村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
七折村(近代)】 明治22年~昭和25年の西臼杵郡の自治体名。
七折(近代)】 昭和26年~現在の日之影町の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235652