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日豊本線
【にっぽうほんせん】


日本国有鉄道線区名称。小倉駅(福岡県)と鹿児島駅(鹿児島県)を結ぶ幹線。九州の東海岸を縦断する。全長462.6km。駅数99(接続駅を含む)。信号場5か所。本県内は,延長164.3km,駅は市棚(北川町)~五十市(いそいち)(都城市)間31駅,信号場2か所。貨物支線として日向市~細島(日向市)間の細島線(3.5km)がある。一ツ瀬川を境に北は大分鉄道管理局,南は鹿児島鉄道管理局の所轄。当初,県内の鉄道敷設は,軍隊輸送の面から都城と鹿児島・熊本方面を結ぶルートが優先された。明治44年,小倉から大分まで開通したが,大分~宮崎間の工事は着工されず,南部の建設は吉都(きつと)線(大正2年に現区間全線開通)から北進する形で進められた。大正2年12月,宮崎県営鉄道として宮崎~日向住吉(当時次郎ケ別府,ともに宮崎市)間9kmが営業開始。現日豊本線の最初の開業区間である。大正5年,宮崎以南の難工事区間といわれた清武(清武町)~青井岳(山之口町)間の開通により,宮崎~鹿児島間が吉松経由で直結,当時は宮崎線と称した。翌年,宮崎県営鉄道を買収,宮崎線を宮崎本線と改称,宮崎~妻(西都(さいと)市)間を妻軽便線とする。佐土原~妻間はのちの妻線である。大正12年12月15日,宮崎・大分県境の難所宗太郎越,重岡(大分県)~市棚間開業。同時に豊州本線(大分県以北の日豊本線)と宮崎本線を日豊本線に改称,小倉―宮崎―吉松間を日豊本線とする。昭和7年12月6日,大隅大川原~霧島神宮間開業,同時に肥薩線隼人~鹿児島間(明治34年開業)を編入して現在の日豊本線全線が開通。宗太郎越・青井岳越など20~25‰の急勾配とトンネル区間が多いため,無煙化と電化が急がれたが,昭和49年幸崎(大分県)~南宮崎間の電化により全線無煙化達成。昭和54年,南宮崎~鹿児島間電化完成により全線電化。複線化は幸崎までしか進んでおらず,県内に複線区間はない。昭和59年度の営業係数(100円の収入を得るために要する経費)224。さらに国鉄の経営難により,県内の複線化,延岡・宮崎市街の高架化の問題解決は進展していない。日豊本線開通に関しては各地で誘致・反対合戦が繰り広げられた。宮崎~都城間については,都城(島津分家)と北諸県(きたもろかた)郡(島津本家)の対立が関係している。当初の予定は,宮崎―高岡―高城(たかじよう)―都城の予定であったが,両者が主導権を巡って反目している間,難所青井岳越を抱える山之口・田野ルートに変更になり,難工事のため都城以北の開業が遅れる一因となった。なお,現在,当初の予定ルートには国道10号が走っている。また,都城から鹿児島に向かうルートも当初庄内を経由する予定であったが,地主の反対により,財部に変更になった。日豊本線と国道10号はほぼ並走するが,宮崎~都城間は国道269号が並走している。児湯(こゆ)郡の川南町・高鍋町においては,国道の通る中心集落から離れた所に駅がある。川南駅からはかつて街に向かう馬車が運行していた。また,高鍋駅の北側の小丸川河口には,九州一の長さを誇る小丸川鉄橋がある。当初,高鍋町の中心地に駅を設置し,西都市妻を経由して既存の宮崎県営鉄道(のちの妻線)を利用し,宮崎と結ぶ計画もあったが,海岸線を通るルートに決定がなされ,大鉄橋の建設に至った。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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