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野尻
【のじり】


旧国名:日向

大淀川とその支流岩瀬川の左岸に位置する。北西部から北東部にかけては標高300~500mの丘陵地,南部はほぼ標高150m前後の台地で,東部は漆野原台地である。付近はシラスが堆積し,その上を霧島火山活動に伴う黒色の火山灰土が覆っている。また,四万十累層群上部から丘陵が東西に走り,所々に起伏がある。こうした地形が長い年月の間に浸食され,その谷に秋社川・石瀬戸川・戸崎川・城の下川が北西から南東に流れて,大淀川や岩瀬川に合流する。原野のはずれという意の野尻という地名は,こうした当地の地形によるものであろう。水の豊富な原野の広がる台地地形は,牛馬の放牧に適していたと思われ,「延喜式」に見える野波野(のなみの)牛馬牧は当地に比定されている。地名にも,牧の原・大塚原・陳原・鵜戸原・西原・東原・漆野原・佐土原・池之原・馬之越・札掛の鼻など,原野を示す地名,牛馬牧に関係する地名が多く残っている。また,「延喜式」に見える日向国十六駅の1つ野後駅も当地に比定されている。古道は西都(さいと)から国富を経て綾駅―野尻―小林へと通じていたから霧島山をはるかに望む草原に牛馬の群れ遊ぶ風景の中では確かに野の後の感をもったであろう。縄文・弥生時代の遺跡は北の山沿いと南の岩瀬川沿いに点々と散在しており,これが古道の道筋に当たるものかもしれない。東麓と三ケ野山には1基ずつ計2基の円墳があり,昭和8年野尻古墳として県史跡に指定された。また,諸県(もろかた)地方独特の地下式横穴古墳が4か所で発見され,約60基が発掘されているが,おおよそ5~6世紀頃のものと推定されている。特に三ケ野山の西部,大萩(牧の原)古墳地帯では37基が発掘されて,古墳時代の解明に役立っている。大萩古墳群より約 2 kmの所に岩瀬橋があり,旧橋の小林側に永仁元年の板碑がある。上部に大日如来の梵字が彫られ,橋勧進と除変災の字が見える。当地は亜椰(綾)と小林の中間にあり,重要な交通の要衝であったと思われ,特に,岩瀬渡と近くにそびえる岩牟礼城は狼煙の丘として古くより利用されていたようである。東麓の町外れにある東麓石窟仏は,洞穴の中心に薬師如来の座像を彫り,左右に日光菩薩・月光菩薩を配し,その左右に十二神将が6体ずつ彫ってあるもので,制作年代は鎌倉期と考証され,昭和32年県史跡に指定された。町文化財としては,東麓の町中で野尻町教育委員会の近くに伊集院源次郎忠真の供養碑がある。伊集院忠真は,庄内の乱の主人公だが,のち関ケ原の戦後に肥後の加藤清正と内通し謀反を企てているとの疑いのため,慶長7年8月17日鹿児島藩主島津忠恒が上洛の途中当地で主従ともに殺害されたものである。野尻城の対岸にある岩観音には聖観音と梵字で彫った三陀三尊の磨崖仏があり,今では畜産の神様として参拝者がある。
野尻(中世)】 南北朝期から見える地名。
野尻郷(近世)】 江戸期の郷名。
野尻村(近代)】 明治22年~昭和30年の西諸県郡の自治体名。
野尻町(近代)】 昭和30年~現在の西諸県郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235733