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肥後街道
【ひごかいどう】


佐土原(さどわら)城下から本庄(国富町)―綾―野尻―小林―飯野(えびの市)を経て肥後に至る街道。部分的には本庄往還・宮崎往還・人吉往還など,それぞれの地域固有の呼称をつけている。また,肥後側からは領境から紙屋(野尻町)付近までを西目街道と呼ぶなど,呼称もまちまちである。佐土原から本庄までは薩摩街道と一致するが,本庄からは分かれて綾に向かう。このコースは現在の主要地方道宮崎須木線とほぼ同じであるが,本庄台地を下る部分は本庄中学校の北側を通っていた。この道路は逢坂地区で現主要地方道と合流したのであったが,現在その一部は廃道となっている。綾からはゴルフ場となっている二反野を越えて紙屋に向かう。紙屋地区では関所跡のある紙屋小学校をかすめて上の原を西に進む。ここから野尻までは国道268号を縫う形で,付きつ離れつ併進するが,野尻から飯野までは長距離にわたって,ほとんど現国道と一致している。これは,県下の他の街道が,現在の道路と不一致部分が多いのに比べると,特異ともいえる現象であるが,明治期に新しい区域割で町村がスタートした折,これを巡る紛争が他地域に比べて少なかったことが,先の現象と関連するのかもしれない。この区間には中世から近世にかけての伊東氏と島津氏にゆかりの史跡も多い。野尻町の石窟仏(県史跡),伊集院忠真の五輪塔,小林市では伊東塚(県史跡),えびの市では榎田関所跡(県史跡)などがその主なものである。このうち榎田関所は球麻口番所といわれ,薩摩の関所の1つであった。幕府隠密の侵入に備え,交通上最も難所に当たる榎田に設けたという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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