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日之影町
【ひのかげちょう】


(近代)昭和26年~現在の西臼杵(にしうすき)郡の自治体名。はじめは日の影町と書いたが,昭和31年日之影町と改めた。五ケ瀬川上流域に位置し,地内のほぼ中央を日之影川が流れる。岩井川村・七折村の2か村が合併して成立。大字は岩井川・分城・七折の3大字を編成。町役場は岩井川新日之影の旧岩井川村役場を庁舎とする。町名は旧岩井川村と旧七折村両村の行政の中心地を新日之影と称していたことによる。昭和31年岩戸村山裏の一部を編入して見立となり,4大字を編成。同年の世帯数・人口は七折1,561・9,281,見立472・1,874で岩井川・分城地区は620・5,338。見立の出羽(いずるは)洞穴は旧石器時代の遺跡で,新石器時代までの遺物が多数発見され,同40年には考古学的調査が行われ,県最古の住居跡であると確認された。また鳥越地区で円墳2基(うち1基は石棺が露出している),平清水地区に横穴古墳3基,辻に横穴古墳が3基あり,いずれも昭和8年七折古墳として県史跡になっている。徳富鍾乳洞は同年七折鍾乳洞として国天然記念物になった。矢筈岳は比叡山および矢筈岳として,同14年国名勝に指定された。同40年には祖母傾(そぼかたむき)国定公園が指定され,見立渓谷は景勝地として近年有名となり,町特産のユズもその加工品とともに人気を呼んでいる。傾山山系には国の特別天然記念物であるニホンカモシカがわずかに生息している。昭和33年岩井川と七折をつなぐ岩井川橋が完成した。同35年の15歳以上就業者総数6,158のうち農業3,414・建設業562・卸売業および小売業415など,農家総数1,186戸,うち専業農家455戸・兼業農家731戸,経営土地面積は田4,643a・畑2,646a・茶園67a・果樹園123a・桑園4a・山林2,134a,同36年の民有有租地のうち田413.3ha・畑384.9ha・宅地76.2ha・山林5,810.4ha・原野727.8ha(県統計年鑑)。同36年八戸町で火災が起こり,市街地の42世帯が罹災した。同年日之影大橋が完成し,町役場への往来が便利になった。同年から当町は,クリの木の植栽普及に力を入れ,山林の収入源としてたちまち普及し,現在約170ha・240tの生産をあげている。同47年からはユズ・カボスの植栽を奨励し,現在当町の特産物になっているが,その面積は20ha,収量は100tに及んでいる。同年国鉄日ノ影線は高千穂まで延長され,国鉄高千穂線と改称。当町には槙峰・日向八戸・吾味・日ノ影の4駅に加えて影待・深角の2駅が開設され,6駅が設置されることとなった。同48年日之影ソーイング縫製工場が立地した。同50年の民有地のうち田528ha・畑302ha・宅地75ha・山林5,546ha・原野513ha,15歳以上就業者総数4,922のうち農業2,332,林業・狩猟業600,鉱業11,建設業462,製造業190,卸売業・小売業463,運輸通信業156,サービス業516,公務133,農家総数1,029戸,うち専業農家17戸・第1種兼業農家630戸・第2種兼業農家382戸,経営耕地面積は田4万2,813a・畑1万5,177a・樹園地1万5,216a,昭和48年度の町民所得は総額47億円余,うち第1次産業15億円余・第2次産業11億円余・第3次産業20億円余(県統計年鑑)。世帯数・人口は,昭和35年3,073・1万5,711,同45年2,432・1万261,同55年2,164・8,013。昭和50年末市~深角間のバイパスが開通した。翌51年には大分県と直結する県道日之影南田原線の杉ケ越トンネルが完成し,同54年には国道218号バイパス平底~宮水間の供用が開始された。同57年には当町を中心とする未曽有の集中豪雨があり,水害が続出して,数か所の山津波で家屋全壊11棟・死者3名を出すに至った。国道・県道は寸断され,国鉄も3か月間運行休止になった。同年東洋一高い国道218号バイパスの青雲橋が架けられ,同60年度に八戸まで開通した(日之影町史)。




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「角川日本地名大辞典」
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