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行縢神社
【むかばきじんじゃ】


延岡市行縢町にある神社。旧郷社。祭神は伊弉冉命・事解男命・速玉男命。旧称は行縢三所大権現。祖母傾国定公園特別地域に指定される行縢山山麓に位置する。養老2年に紀州熊野神社を勧請し創建したと伝えるが,詳細は未詳。熊野信仰が九州地方へ伝播したのは12世紀後半であるため,当社の勧請もこの頃であろうか。県領主土持氏歴代の祈願所で,篤く信仰されたという。永仁2年4月8日付の平某補任状以下別当職に関する数通の古文書を有しており(日向古文書集成・県史蹟調査第7輯),それによると師弟間で別当職が相伝されていたという。また正和3年に静全から別当職を譲られた慶全が,元弘3年に熊野参詣のためその間の別当職の代行を願っており(同前),熊野参詣が当時行われていたことが知られる。その後天正6年に至って豊後の大友宗麟の進攻に際し,領主土持親成が行縢山を本拠として交戦し捕虜となったため,社領を没収され別当寺とともに廃滅状態になったという。しかし江戸期にはいると延岡藩主有馬直純は社領米20石を寄進,三浦氏により10石に削減されたが,以後は歴代藩主より崇敬され,旧暦9月19日の祭礼には藩主の直参もしくは代参があったという。社殿の造替などは藩主が行い,宝暦2年に内藤政樹が,宝暦9年には内藤政陽が造営したことが棟札によりうかがわれる。明治4年に付近の神社を合祀して行縢神社と改称,翌年郷社に列した(県史蹟調査第7輯)。例祭は11月19日。慶長10年銘の鉄鰐口1口を遺存し,銘文によると延岡初代藩主高橋統種(元種)の息女が寄進したもの。径47cm,総厚18.5cm,撞座の径13.6cmで銘文から日向地方の作と推定されており,県文化財に指定されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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