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山神第2トンネル
【やまかみだいにとんねる】


山神は「やまのかみ」「やまんかみ」ともいい,地元では「やまんかみ」が一般的。国鉄肥薩線の真幸駅と鹿児島県吉松駅の間にあるトンネル。加久藤カルデラの外輪山の中腹を貫く。えびの市内竪(うちたて)にあるが,吉松駅側坑口は字松尾,真幸駅側は字大河平(おこびら)にある。全長617.6m・幅員3.7m・高さ4.6m。標高は吉松駅側336.9m,真幸駅側352.4mで,1,000分の25の急勾配である。肥薩線(旧鹿児島本線ルート)から始まった本県の鉄道建設史の中では初期のトンネルで,竣工は明治42年11月と古い。側壁は石造り,アーチ部は煉瓦造り。このトンネルで終戦直後の昭和20年8月22日,列車事故による大惨事が起きた。えびの史談会刊「えびの」No.14中の原田葉風著「復員軍人殉難記」によると,米軍上陸のうわさに狼狽した鹿屋(かのや)(鹿児島県)の海軍航空隊の復員軍人は,吉都線・肥薩線に殺到,駅員の制止も聞かず,超満員となった列車は吉松駅を出て真幸駅に向かった。前後2両の機関車で急勾配を登りはじめたものの前の機関車が不調,ついに左にカーブするトンネル内で停車し立往生した。真暗闇のトンネルの中は機関車の煙が充満しはじめ,窒息を恐れた何十人もの軍人が列車から飛びおり線路伝いに逃れようとした。ところが,機関士もこの状態に危険を感じ,列車を後退させトンネルから出ようとしたのである。このため全国各地出身の56名が轢死した。現在,当トンネルの真幸駅側坑口に,復員軍人殉難碑がたてられ,そばに屋根付きの慰霊碑が祀られている。事故後絶えることなく供養を続けてきた地元の人々が,十七回忌に当たる昭和36年に慰霊碑を建立。裏面には殉難者氏名が刻まれている。当トンネルは,建設時に殉職者を出し,一般通行人の轢死事故などが起きたこともあって,地元では魔のトンネルと呼ばれているという。なお肥薩線の吉松駅~矢岳駅間は12.4kmにわたり1,000分の25の急勾配が連続する,九州屈指の難所である。県内で1番目に置かれた真幸駅(標高380.4m)にはスイッチバックが設けられている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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