蒲生
【かもう】

旧国名:大隅
矢止岳南部に位置する。西北部は山地,南東部(約4分の1)は低地からなり,前郷川(古くは前川)と後郷川(古くは後川)の両川が麓の東端で合流し,蒲生川(別府川上流)となって東流する。蒲生の名は,往時この地味豊沃にして蒲草の繁生良く,畳表を産出したるによるといわれる(蒲生郷土誌)。「日本後紀」延暦23年3月25日条に「庚子,大宰府言,大隅国桑原郡蒲生駅与薩摩国藩摩郡田尻駅,相去遙遠,逓送艱苦,伏望置駅於薩摩郡櫟野村,以息民苦,許之」とあるのが地名の初見史料である。「蒲生郷土誌」は蒲生氏系図より「保安四年癸卯舜清初下向而於大隅州而居住下大隅垂水其後領蒲生及吉田以蒲生為居城且定家号従是子孫相続而守当城為履矣」と引用し,さらに本藩郷里史蒲生正八幡宮の条を引いて「鳥羽院の御宇執印行賢領地の時従三位通基嫡孫上総介藤原舜清下大隅に下向して行賢女に内縁あり一男を生む行賢無男故舜清を養うて子とし吉田蒲生を譲る」と記している。
【蒲生院(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える院名。
【蒲生郷(近世)】 江戸期~明治22年の郷名。
【蒲生村(近代)】 明治22年~昭和3年の姶良郡の自治体名。
【蒲生町(近代)】 昭和3年~現在の姶良郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7237155 |





