小倉
【こくら】

旧国名:薩摩
川底・小倉川底ともいい(「地理纂考」には川底村と見える),小蔵とも書く。川内(せんだい)川下流北岸に位置する。南部の河岸近くに鏡野・鏡(かがん)山と呼ばれる小山があり,「三国名勝図会」には宮内村五代のうちとして「往古瓊々杵尊天降玉はんとするや,天照大神の御形見として親から皇孫に授け玉へる八咫鏡を斎き奉り玉ふ所なり,故に其名を鏡野といふ,今此原野の内,周廻1町許正円の内草の色他所に異りて,四季共に生へ茂り霜雪にて枯るることなし,是其霊蹟なる故なりといへり,又年々火を以て此野を焼ける例なるに,此一円の所のみは曽て焼る事なし,世人此伝説を知らざる者見ても草色の異なるに驚くべし,邑人も常に尊ひ崇めて牛馬を放ち繋がず」と見える。
【小倉村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【小倉(近代)】 明治22年~昭和26年の大字名。
【小倉町(近代)】 昭和26年~現在の川内市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7237530 |





