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福昌寺跡
【ふくしょうじあと】


鹿児島市池之上町に所在。福昌寺は島津氏第7代元久(恕翁)が創建した曹洞宗の寺院。県史跡。玉竜山福昌寺は鹿児島郡坂本村長谷場にあり,能登州諸岳山惣持寺の末寺である。島津元久は禅宗を尊信し応永元年石屋真梁を福昌寺の開山とした。石屋は島津氏の一族伊集院忠国の第11子。福昌寺は代々島津氏の尊崇が厚く,島津氏歴代の菩提所で元久以後の島津氏の墓がある。したがって寺領1,350石,常に1,500人余の僧侶が居住しており,薩隅日三州の僧録所で,九州中国に末寺を持っていたので,九州中国の古本寺といわれた。天文15年福昌寺第15世忍室和尚のとき後奈良天皇の勅願寺となった。天文18年フランシスコ・ザビエルは鹿児島に上陸し,領主島津貴久によりキリスト教の布教を認められた。聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄によれば,ザビエルは福昌寺をしばしば訪れ「ニンクシット(忍室)はもう私の非常な友である。全く驚くばかり親密である」と述べ霊魂不滅であるかどうかについて問答を交わしている。これら住職の墓は島津家墓地の後方にある。この数百年の歴史を誇る宏壮な福昌寺も,明治2年鹿児島藩を吹き荒れた排仏毀釈により破壊され廃寺となり,島津氏の墓地だけが残っている。同年長崎浦上のキリシタンで改宗しない者を明治政府は捕らえて各藩に預けた。同3年12月長崎から送られてきた375人の信者たちを藩では廃寺となった福昌寺跡に竹矢来をつくって囲い外部との往来を絶った。このなかで病死した人たちは福昌寺の裏山に埋葬された。明治38年鹿児島教会のラゲ神父が記念碑を立てたが,現在もキリシタン墓として福昌寺のうらに残されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7238966