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浦添ようどれ
【うらそえようどれ】


浦添市仲間小字城原にある墳墓。方言ではユードレ・ヨードレという。浦添城跡の北側断崖中腹に位置する。ようどれは夕なぎの意でオモロにも用例が多く,無風で波の静かな状態を指し,転じて世の中が諒暗(天子が父母の喪に服する期間)に入ったことを意味するもので,夕喪(ようとれ)は後世の借字という。また,英祖王(1260~99在位)の頃,日本の僧といわれる禅鑑が渡来して沖縄に初めて仏教を伝え,英祖王がこれに帰依して浦添城の西に補陀洛山極楽寺を建て,その側に墓を築いて極楽陵と名付けたという史実から,ようどれは極楽のオモロ名ではないかともいう(南島風土記)。浦添城跡の西側から階段を下り東へ約50mほどいったところに,向かって右側に英祖王陵,左に尚寧王陵がある。第2次大戦前の陵墓は,石畳道の坂路を下り,隧道を通ってアーチの石門(第二門)をくぐり,石垣囲いのある前庭部に入った。陵庭を囲ってあった石垣やアーチの石門,隧道などは第2次大戦で滅失した。陵墓も大破したが,戦後当時の琉球政府文化財保護委員会によって,昭和30年8月に英祖王陵,同31年4月に尚寧王陵が修復された。修復の際に行われた調査によると,英祖王陵は自然洞窟に少々手を加えた崖葬墓であるが,前面は厚さ2.25mの琉球石灰岩の石積みで囲んである。中央部には幅1.63m・高さ1.64mのアーチ形の入口があり,方言でニービヌシンと呼ばれる砂岩でできた両開きの扉をかんぬきで付してある。上部は2個の琉球石灰岩でアーチ組をなし,左右には0.63mの方形の格子窓が設けられている。陵室の広さは約64m(^2),天井までの高さは3.75mで,陵室の東西の両壁は石積みであるが,天井と後壁は自然の岩盤そのままである。陵室の西側に小さな奥室が1つ設けられており,入口には幅0.80m・高さ1.04mのアーチの石製扉がある。内部には石壇が設けられ,西壁は袖壁を築き,1基の墳墓の形式をとっている。この奥室からは「大清咸豊二年壬子十月二三日」銘の小さな陶製の丸厨子甕が発見されている。尚寧王陵も英祖王陵と同様に,自然の洞穴を横に少し掘り広げた半掘込式の墳墓で,前面を厚さ2.06mの石灰岩の石積みで囲い,中央部には2個の石灰岩でアーチを組んだ幅1.6m・高さ1.35mの入口が設けられている。3段の石段や入口の左右に高さ3.35mの袖を設けてあるなど,英祖王陵とは多少その形式を異にしている。両袖には戦前まで石獅子が一対置かれていたが,1体は第2次大戦で破壊された。もう1体は現在県立博物館に保存されている。陵室の広さは英祖王陵より一回り小さく,広さは約49m(^2),天井までの高さは3.51m。室内は中央部に壇を設け,東西の両壁は石積み,後壁と天井は自然の岩盤のままである。西側に小規模の2室があり,左室は1段,右室は2段の階段を設け,それぞれにアーチ形の入口がある。両陵墓内には閃緑岩の石厨子があり,英祖王陵に大1基・中2基の計3基,尚寧王陵には大1基・小2基が安置されている。英祖王陵内の正面中央に安置されたものが最も大きく,高さ1.89m・幅1.65m・奥行0.9m。棺は屋根・棺身・台座・宝珠の4部からなる。屋根は方形造りの瓦葺で,宝形・軒丸瓦・軒平瓦にはそれぞれ花紋がある。棟には竜・宝珠(中央)・鳳凰(隅棟)が刻まれ,面戸瓦になっている。また台座には鶴・亀・馬・鹿・牡丹・橋などの浮彫り,棺身には阿弥陀如来・観世音菩薩・地蔵などの浮彫りが施されている。また,尚寧王陵内の石棺の宝珠銘に「唵嘛呢叭弥吽」というラマ教の真言が刻まれている(県文化財調査報告書69)。石棺の製作技術や彫刻は精巧で,中国文化の影響が強く,当時の沖縄の仏教文化の隆盛をうかがわせる。これらの石厨子のうち英祖王陵の3基および尚寧王陵の大1基は県文化財に指定されている。石棺の製作年代は不明であるが,英祖王代・尚真王代(1477~1526)・尚寧王代(1589~1620)の3説がある。英祖王陵と尚寧王陵の中間には,ようどれの碑が建てられている。もとの碑は泰昌元年(1620)8月の建立であるが,第2次大戦で破壊され,現在の碑は拓本を参考にして昭和31年に当時の文化財保護委員会によって復元されたものである。高さ81.5cm・幅36.5cmのニービ(細粒砂岩)の碑の両面には碑文が刻まれている。表文の「ようとれのひのもん」は平仮名の琉球文で書かれ,裏文の「極楽山之碑文」は漢文である。表文・裏文ともに尚寧王が英祖王の墓を堅牢に美しく造営し,かつ尚寧王の祖父(尚弘業)・父(尚懿)および自身の遺骨を納めるために浦添ようどれを重修したことなどが書かれており,碑は重修を記念してたてられたものと思われる。裏文は藍王長老の記と伝えられる。なお,尚寧王の遺骨は玉陵内の白石厨子に葬られたともいわれている。浦添ようどれを参拝に訪れる人は現在でも多く,線香の絶えることがない。




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「角川日本地名大辞典」
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