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砂川
【うるか】


旧国名:琉球

方言でもウルカというが,現在では「すながわ」ともいう。宮古島南部に位置する。海岸に近い石灰岩堤の南斜面に,14~17世紀頃の集落跡といわれる砂川元島がある(砂川元島発掘調査概報)。同じ石灰岩堤の北部を,ウィピャーヤマ(上比屋山)と称し,14~15世紀頃の倭寇史跡といわれる上比屋山遺跡(県史跡)や,ムトゥと呼ばれる拝所がある。上比屋御嶽には,大津波のときただ1人生き残ったサアネが,喜佐真按司に養育され,竜宮から来たウマノ按司を妻とし,津波除けの祭りを伝授されたという伝説がある。上比屋山の北端にある前ぬ屋御嶽は,宮古に初めて造船技術をもたらした砂川大殿(大和人といわれる)の屋敷跡と伝え,石垣の跡が残っている。また「前ぬ屋御嶽双紙」にも船の絵が描かれている。弘治13年(1500),仲宗根豊見親玄雅による八重山のオヤケ・アカハチの乱鎮圧には,アウガマ・クイガマの神女姉妹が参加し,呪術を駆使したと伝える。砂川神社の玉石は,アウガマ・クイガマの玉石といわれる。砂川は宮古の古謡にしばしば登場する。砂川の神女アウガマは16世紀初頭,仲宗根豊見親の与那国討伐に先陣を務めた(アーグ53/歌謡大成Ⅲ)。「金志川金盛がアヤゴ」には「うるかじょう(砂川門)」が見え(アーグ57/同前),「四島之主のアヤゴ」では砂川船の名が謡われ(アーグ60/同前),「バシクイのバソ」には砂川の対語「かっふさ」が見える(タービ20/同前)。古謡に見える人物には,「弘治年間之頃同人嶋の主成候付あやこ」に仲宗根豊見親のヘタラ川工事に参加した砂川大殿(雍正旧記/平良市史3),「仲宗根親」に美女ブナリガマなどが見える(宮古島の歌21/歌謡大成Ⅲ)。また,宮古各地に座す神々を崇べ,豊穣を祈願する狩俣の「東山の祓い声」や「揺らり大家のフサ」に当地辺りのことを指す「うるかばら(砂川原)」が見える(ピャーシ10・フサ18/同前)。
砂川間切(近世)】 王府時代~明治41年の間切名。
砂川村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
砂川(近代)】 明治41年~現在の字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239979