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運城御嶽
【うんぐすくうたき】


多良間(たらま)村仲筋にある御嶽。仲筋集落から北海岸に至る前泊道路の西約30m奥にあり,参道が前泊道路から通じている。神名は,オトラフセライ・神ノフセライ。ういぐすく金殿という鍛冶・農業の神を祀るともいわれる。北の丘の上に,ういぐすく金殿の屋敷跡があり,また「ういぐすくかんどぬニィリ」では,ういぐすく金殿が開墾や農作業をする様子を謡っている(ニーリ13/歌謡大成Ⅲ)。御嶽は鬱蒼とした森に覆われており,境内周辺には樹齢250年といわれるフクギ・アカギ・イヌマキなどの大木が見られる。これを含む近辺の植物群落は,昭和49年県天然記念物に指定された。御嶽の由来については,「由来記」に「土原大殿孫,ヲソロト申者,若年ノ比ヨリ,敬老愛幼ノ志深ク,朝夕,天ヲ拝ス。或時,運城・泊嶽,両所ニ,神霊光リ輝キ,天降リタマフヲ,彼ヲソロ,拝ミ始メ崇敬ス」とあり,「雍正旧記」にも同様の記事が出ている(平良市史3)。ヲソロは,成化元年~嘉靖5年(1465~1526)の尚真王時代に,多良間島の初代島主に任ぜられた土原豊見親春源の幼名。この「由来記」の記載から,運城御嶽は,そのやや北東にある泊御嶽とともに土原春源によって創建されたと考えられる。また,「雍正旧記」には,運城には島守りの神,泊山には船路の神が天降りしたので,のち作物を供えて崇敬したと記す(平良市史3)。社殿は,乾隆18年(1753)多良間島の役人,白川姓友利首里大屋子恵路によって建造され,明治期以後に茅葺から現在の瓦葺に改築された。祭事はほとんど農事に関するもので,旧暦3・4・6・8・9月に行われている。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7239982