大浜
【おおはま】

旧国名:琉球
方言ではホーマという。石垣島南部に位置する。15世紀末に波照間(はてるま)島で生まれ,のち石垣島に居住したオヤケ・アカハチの根拠地として知られる。彼は首里王府への朝貢中断により逆徒として弘治13年(1500)に王府軍に殺されたが,この事件の性格や人物像には未解明な部分が多い。このオヤケ・アカハチの乱後に八重山は完全に王府の版図に組み入れられた。八重山考古編年第Ⅰ期の磯辺貝塚,第Ⅲ期のフナスク貝塚,グスク時代のフルスト原遺跡(国史跡),第Ⅳ期のカンドウ原遺跡,第Ⅲ・Ⅳ期の崎原御嶽遺跡がある(県文化財調査報告書22)。
【大浜間切(近世)】 王府時代~明治41年の間切名。
【大浜村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【大浜村(近代)】 大正3年~昭和22年の八重山郡の自治体名。
【大浜町(近代)】 昭和22~39年の八重山郡の自治体名。
【大浜(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7240079 |





