喜如嘉
【きじょか】

旧国名:琉球
沖縄本島北部,国頭(くにがみ)山地の西側で,外堀田(ほかほりた)川(大川川)下流域に位置する。方言では一般にチジュカというが,地元ではキザハという。キザハは切り立った場所の意か。「おもろさうし」には「きとかさ」と見える。中心となる集落は,海岸から約600m入った山すそに展開する。その前面(東北方)に広がる沖積地は,現在サトウキビ畑だが,もとは喜如嘉ターブックヮ(田圃)といわれた肥沃な水田地帯であった。さらに往古は,広い入江で,謝名城(じやなぐすく)集落の近くまで海水が入っていたので,現在でもその辺りをウスンザキ(潮の岬)といい,公民館裏のフクギ付近は船を係留する場所であったという。集落南西にある真謝上(まじやうい)という山が,300年程前に崩れて入江を埋め,ターブックヮになったと伝える。地内を流れる石保(いしぶ)川の支流にウブジョウガー(大門川)があり,かつてはこの川の西を川口村,東を喜如嘉村と称した。現在でも根神は2人いて,1人は旧川口村の根神である。喜如嘉の村落創世神話ともいえる「柴差しのウムイ」に,浮き漂う島を固め,山に草木を植えてムラを形成していく過程が謡われ,「うしかすくやま」にウフン・樫木・シギなど草木の種をまいて山をつくっていく様子が描かれている(ウムイ365/歌謡大成I)。またウムイの「海神」には,王府への貢納物を積み出す船を造り,出港する場所に「ふんなと(小港)」がある(ウムイ377/同前)。
【喜如嘉村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【喜如嘉(近代)】 明治41年~現在の大宜味村の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7240321 |





