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久米大通り
【くめおおどおり】


那覇(なは)市西部,久米地区をほぼ南北に貫く道路。現行ではこの通りの西が久米1丁目,東が久米2丁目である。久米大道とも呼ばれ,方言でクニンダウフミチという。かつては南の起点と北の終点に門があり,南門をウフジョウ(大門),北門をニシンジョウ(西武門)といった。また久米村の風水では,仲島の大石を竜珠,大門を竜首,2本の木を角,2つの石を眼とし,この通りを竜身にたとえ,西武門を尾とした(由来記)。「遺老説伝」によれば,神聖な大門に死者を通すことは禁忌であった。順治7年(1650)薩摩の在番奉行新納刑部が亡くなり,その棺を通したために台風が襲来したという。康煕48年(1709)にも禁忌を破った者があって,7度も台風が起こり,いわゆる丑年の大飢饉となったといわれる。西武門からは若狭大通り・上之蔵通りに通じ,また波上宮の入口,辻の遊里への道筋にも当たり,那覇の目抜き通りになっていた。大正3年久米はこの通りで分けられ,東が久米町,西が天妃町となった。昭和46年旧天妃町の一部などが久米1丁目となり,旧久米町の一部などが久米2丁目となる。現在久米大通りは県道47号となり,大門のあった所は国道58号・県道47号が交差する泉崎交差点のロータリーとなっている。久米大通りは,現在でも久米の動脈で,商店街をなし,由緒のある医院も並んでいる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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