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国際通り
【こくさいどおり】


那覇(なは)市中央部をほぼ東西に貫く道路。那覇市泉崎1丁目の那覇警察署前から安里三叉路までの約1.6kmで,県道39号の部分呼称である。国際通りの名は現在の牧志3丁目に昭和22年に建てられた民間映画劇場のアーニー・パイル劇場(のちの国際劇場)にちなむ。国際通りは北部の牧志2・3丁目の境付近を国際大通り,中央部の牧志1丁目と松尾2丁目付近を国際中央通り,南部の松尾1丁目・久茂地3丁目付近を国際本通りとも称する。市の商業地域の中心であり,沖縄県を代表する繁華街で,沿道には土産物店をはじめ各種高級品専門店・旅行社・ホテル・映画館・書店・喫茶店・レストラン・スナック・娯楽ゲームセンター・ショッピングセンター・大型デパートなどが立ち並び,一大ショッピングエリアを形成する。平和通り・市場通りなどが主に夕刻混み合う市民の日常消費の場であるのに対し,国際通りは観光客の姿も多数見うけられ,一日中人々の往来でにぎわっている。また30系統にも及ぶ路線バスが運行するほか自家用車の交通量も多く,朝夕を中心に片側2車線ずつの通りに車がびっしりと並ぶ慢性的な渋滞がしばしば見られる。このため朝夕のラッシュアワー時には上下1車線ずつを路線バス専用レーンにするなどの規制が執られている。沖縄戦以前は真和志(まわし)村牧志・松尾の字域で,低地には水田,丘陵には松林が広がり,その間,奈利久保原をはじめ至るところに墓地が点在し,国際通りの前身である牧志街道・新県道と通称された県道があるにすぎなかった。沖縄戦で全域が焼け野原となり,戦後は旧那覇市一帯が米軍に占領され,立入りが禁止された。このため人々はやむなく牧志街道沿いに定着し,湿地帯をさけてテントを張り,街道を改修しながら街の復興にとりかかった。昭和21年暮れに1,000人に満たなかった市内の人口は,同26年には5万人に達し,牧志街道を中心に多くの商店が立ち並ぶようになり,やがてこれが現在の国際通りへと発展した。昭和28~29年の改修によって,近代的な商店街が帯状をなすほど,その復興ぶりはめざましく,かつてのさびしい郊外の一画は一大繁華街に変貌し,「奇跡の1マイル」と称されて戦後の沖縄復興の象徴となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240562