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国道
【こくどう】


 国道58号 鹿児島県鹿児島市と那覇(なは)市を結ぶ国道。総延長883.5km(海上部分を含む)・実延長274km,県内総延長152.7km(海上部分を含む)・県内実延長134.2km。管理は沖縄開発庁・県知事。沖縄本島中部から北部の西海岸線を通る主要幹線道路。鹿児島市山下町を起点とし,海を隔てて種子島・奄美大島(鹿児島県)を経て,沖縄本島北端の国頭(くにがみ)村奥から西海岸沿いに南下する。大宜味(おおぎみ)村―名護市―恩納(おんな)村―読谷(よみたん)村―嘉手納(かでな)町―北谷(ちやたん)町―宜野湾(ぎのわん)市―浦添(うらそえ)市を通過したのち,那覇市奥武山(おうのやま)町の明治橋南詰に至る。建設当初は琉球政府道1号と称し,軍道1号と通称された。米軍の基地や軍需格納庫を結ぶ軍事優先の道路で,緊急時に航空機が離着陸できる構造をもっていた。復帰した昭和47年に一般国道に指定された。復帰後,社会や生活の基盤として整備が進められ,沖縄県の主要幹線道路の名に恥じぬ機能を備えつつある。那覇~嘉手納間は都市地域を縦貫するため朝夕の通勤時には激しい交通渋滞が見られたが,6車線に拡幅され少々緩和された。名護市内の名護の七曲り,国頭村内のジョーミチ(戻る道)などの交通の難所も,道路拡幅や宜名真(ぎなま)トンネルの完成(昭和58年)などの整備が進んでいる。沖縄本島の西海岸沿いは景勝地・ビーチが多く,観光面でも重要な道路である。特に恩納村の海岸部はロードパークとして整備され,エメラルドグリーンの海と緑の街路樹の対比で快適なドライブコースとなっている。なお,海上に道路を想定し重要な都市間を結びあわせて国道に指定する方法を最初に取り入れた国道でもある。 国道329号 名護市と那覇(なは)市を結ぶ国道。実延長103.6km。管理は沖縄開発庁。名護市世冨慶(よふけ)の国道58号からの分岐点を起点とし,東行して国頭(くにがみ)山地を横断,名護市辺野古(へのこ)に至る。東海岸沿いに南下し宜野座(ぎのざ)村―金武(きん)町―石川市―具志川市―沖縄市―北中城(きたなかぐすく)村―中城村―西原町―与那原(よなばる)町に至り,同町から西に走って南風原(はえばる)町を通過,那覇市旭町に至る。旧軍道13号。国道58号に次ぐ県内2番目の延長である。那覇~与那原間は旧与那原街道や旧県営鉄道与那原線のルートにほぼ充当する。古くは国頭地方の東海岸沿いの村から山原(やんばる)船で与那原の港まで運ばれた薪炭をさらに大消費地である那覇・首里の町へ運搬する荷馬車や鉄道でにぎわった。現在では朝夕の通勤時に交通渋滞が激しい。国道58号に比べ整備は遅れているが,一部は道路拡幅されつつある。 国道330号 沖縄市と那覇(なは)市を結ぶ国道。ひめゆり通り・安里バイパスなどの部分称を有する。実延長23.7km。管理は沖縄開発庁と県知事。沖縄市照屋を起点とし,北中城(きたなかぐすく)村―宜野湾(ぎのわん)市―浦添(うらそえ)市を経て那覇市に入り,古波蔵交差点で西行して旭橋に至る。米軍基地の集中する沖縄市から宜野湾市普天間(ふてんま)にかけては,米軍が道幅を広げ,昭和47年の復帰前までは横文字の看板が目についたが,復帰後は様相が一変した。宜野湾市愛知周辺は宜野湾中古車街道の異称があるほど中古車販売業店が目立つ。近年,近くに沖縄国際大学・琉球大学が移転してきて,学生の町へと変貌をとげつつある。浦添市西原から那覇市安里にかけては,整備された4車線の道路が延びている。この路線にはめがねトンネルと通称される伊祖トンネル(延長100m)や浦添大橋(延長264m)などがある。旧沖縄県営鉄道路線であったひめゆり通りは道幅の狭い直線道路で,朝夕には激しい交通渋滞が起こったが,道路拡幅によりかなり緩和された。 国道331号 沖縄市と那覇(なは)市を結ぶ国道。実延長50.4km。管理は沖縄開発庁。沖縄市照屋を起点に,途中与那原(よなばる)町与那原交差点まで国道329号と重複し,佐敷町―知念村―玉城(たまぐすく)村―具志頭(ぐしかみ)村―糸満(いとまん)市―豊見城(とみぐすく)村を経て,那覇市奥武山町の明治橋南詰に至る。沖縄本島南部を囲むように延びている。佐敷~知念間はワシントンヤシ並木とカラー舗装された歩道が続く。沿線には,斎場(さいは)御嶽などの霊地が多く,王府時代には東御廻りの道として多くの参拝者でにぎわった。路線はほとんどが琉球石灰岩の台地上を通る。かつては琉球石灰岩を打ち砕いた石粉石が敷きつめられ,サトウキビ畑の中を通る南国の強烈な太陽に光り輝く白い道が独特の景観を呈していた。沿線地域は沖縄本島有数のサトウキビ作地帯で,製糖期にはサトウキビを搬入する大型ダンプの往来が激しい。糸満市内の沿線には,ひめゆりの塔・平和祈念公園があり,観光バスが頻繁に通行する。また那覇市内の垣花町から高良に至る地域は戦後米軍基地が建設されたため,古来糸満街道と呼ばれた国道331号は,一時期民間の通行が禁止された。昭和48年基地内にフェンスなどが設けられて通行が許可され現在に至っている。なお,旧住吉町から垣花町に至る坂道はガジャンビラ(蚊坂)とも称される。急坂であるために,馬もあえぎあえぎ登る程であった。大正期から昭和初期に糸満馬車軌道が通っていた。その右側には沖縄気象台があり,ヒラ(坂)の頂上から見下ろす那覇港および那覇市街は絶景であった。 国道332号 那覇(なは)空港と沖縄本島の大動脈である国道58号を結ぶ国道。実延長2.4km。管理は沖縄開発庁。那覇市鏡水の那覇空港国内線ターミナルを起点とし,途中那覇市垣花町辺りから国道331号と重複し,那覇市奥武山町明治橋南詰に至る。昭和47年の復帰後,那覇空港を利用する旅客数は年々増加し,昭和57年には527万人を数えた。夏場の観光シーズンを中心に空港へ向かう車,空港から那覇市内へ向かう車が慢性的な交通渋滞を起こす。同58年国道331号の山下垣花立体橋が完成し,一部が道路拡幅されたため最近では渋滞もかなり緩和された。沿道にはナンヨウスギ・ワシントンヤシが植栽され,わが国の南の空の玄関に通じる道路として着々と整備が進められている。 国道390号 石垣市と那覇(なは)市を結ぶ国道。総延長552.1km(海上部分を含む)・実延長63.1km。管理は県知事。石垣市美崎町の石垣港を起点に石垣島東海岸を北上し,石垣市伊原間(いばるま)から海を隔てて宮古島に渡り,城辺(ぐすくべ)町―上野村―下地(しもじ)町―平良(ひらら)市を経て再び海を渡り,那覇市東町に至る。国道58号とともに海上に道路を想定し国道に指定する方法をとる。宮古島・石垣島の主要幹線道路である。沿道の風景は石垣島南部のマングローブ,東部のパイナップル畑,宮古島のサトウキビ畑と,それぞれ異なっている。 国道449号 本部(もとぶ)町と名護市を結ぶ国道。実延長20.5km。管理は県知事。本部町浦崎を起点に,本部半島の南半分を回って名護市名護に至る。一部は主要地方道本部循環線と重複。昭和57年4月国道指定。この路線は昭和50年に開催された沖縄国際海洋博覧会の関連事業として整備されたもので,整備を機に周辺地域は大きな変貌をとげつつある。本部大橋も架橋された。沿線地域は本部石灰岩が広く分布し,県下唯一のセメント工場がある。採石のため山は崩れ,その砂利を満載した大型ダンプが頻繁に通っている。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240566