崎本部
【さきもとぶ】

旧国名:琉球
方言ではサチムトゥブといい,単にムトゥブともいう。沖縄本島北部,本部半島の西南部の海岸に位置する。地名は,伊野波間切創設のとき地頭代を本部親雲上と呼び,その後間切名も本部間切に改称されたため,この地が本部間切の先駆ということから,さき本部と呼ばれるようになったと伝える。沖縄考古編年後期の兼久原貝塚がある。永楽14年(1416)の北山王攀安知臣下の武将平原(ムトゥブテーハラともいう)の名が知られ(球陽尚思紹王11年条),その住居跡と伝える場所が残る。住居跡のある台地は南方の海上を監視するのに適しており,平原は北山の守りに当たっていたと思われる。当地に伝承される「崎本部大ユミのウムイ」に,豊かな霊力をもつ神が祀られた聖地としての「ナガリ庭」や「高ザナ」が謡われている(ウムイ188/歌謡大成I)。
【崎本部村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【崎本部(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7240626 |





