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主要地方道名護運天港線
【しゅようちほうどうなごうんてんこうせん】


名護市と今帰仁(なきじん)村を結ぶ道路。県道72号ともいう。かつては県道117号と称された。また王府時代から大正期にかけては藍の道・山手線とも呼ばれた。名護市屋部を起点に西屋部川沿いに北上し,名護市旭川から今帰仁村に入り,今帰仁村呉我山から大井川沿いに玉城(たましろ)・仲宗根を経たのち,海岸沿いを通って運天港に至る。総延長15.5km・実延長15.1km,うち9.0kmが改良済(59.6%),舗装済の区間は8.2km(54.5%)。橋梁数6。大正4年三ツ提から,呉我山・玉城を経て仲宗根まで郡道として改良工事がなされ,翌5年に完成,その間の距離は,3,622間(約6.5km)・幅員2間(約3.6m)である(国頭郡志)。開削工事が難行したのは,呉我山から玉城に至る大井川に沿った区間であった。旧道は大井川に沿った細い道であったが,新道は山の中腹を通すことになり,ロープで体をつるして断崖の岩を割ったり,ダイナマイトを使って開削したという(今帰仁村史)。郡道の開通によって,今帰仁村にはじめて客馬車が来るようになり,玉城に停留所が設けられ,名護との間を往復した。自動車の通行もこの郡道に始まる。難工事であった区間は,今では松並木になっていて,古い街道筋を彷彿とさせてくれる。大正7年に,羽地村呉我を通り湧川に通じる幹線道路(現主要地方道本部循環線)が開通すると,山手線は昭和4,5年頃にはその役割を譲ることになった。仲宗根から渡喜仁を通り運天港に至る区間は,第2次大戦時に米軍が建設した。この区間は拡張・舗装整備がなされており,港と結びついた産業道路としての役割も大きい。現在,呉我山で大規模な道路拡張工事が行われており,呉我山から玉城・仲宗根に至る道路拡張が完成すると,名護市と今帰仁村との主要道路,あるいは観光道路として注目を浴びることになるであろう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240750