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雲慶名御嶽
【すむちなうたき】


今帰仁(なきじん)村玉城小字西アザナ原にある御嶽。方言でもスムチナウタキといい,あるいは単にウタキと呼んでいる。「旧記」には雲慶那嶽と見える。乙羽岳を中心とした山嶺の東端に位置する。「由来記」に「コモキナ嶽 玉城村 神名,コシアテモリノ御イベ 右,玉城巫崇所」とある。伊波普猷は,「あまみや考」で「くもきな↑コモキナ↑フムチナ↑スムチナ↑スムチラ」と音韻変化したと述べている。「旧記」に玉城ノロの管掌とされる玉城・仲宗根・謝名(じやな)・平敷(へしき)の4字と越地は,旧暦4月15日の雲慶名御嶽における御願に参加するが,明治36年に玉城に合併された岸本村は,独自の岸本ノロとオホヰガワ御嶽をもち,雲慶名御嶽での御願には参加しない。これは,集落の合併があっても,祭祀は統合されないという伝統が受け継がれている例である。この御嶽は山腹に祭場があり,香炉が置かれ,前方は大庭(ミャー)になっている。御嶽御願(旧暦4月15日)には大庭に玉城ノロをはじめ各字の神人や村人が集まり,祭祀が執り行われる。前日にはウペーフが2人の人夫を連れ立って酒・花米・線香を持参し,御願の予告と浄めをする。御嶽の大庭から山頂に至る道筋にはピジャイナー(左縄)が張り巡らされる。当日,玉城ノロや各字の神人,そして村人が集まり,その中でウペーフが「三十六ペー」と唱えると,参加者全員が頂上のイビに向かって拝む。ノロと神人はさらに頂上の祭場まで登って御願をする。石灰岩が露出する頂上に道光と同治の中国年号が刻まれた2基の香炉が並んでおり,そこからの眺望は,今帰仁村一帯から国頭(くにがみ)村の安須森まで望見できるが,蒲葵御嶽を直接見通せる位置にはない。「由来記」に,謝名村のアフリノハナには君真物が出現する時涼傘が立つと見える。そのアフリノハナは古くは謝名小字美謝原にあったが,場所が狭かったため雲慶名御嶽に移したとの口碑がある(今帰仁村史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7240841