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長虹堤
【ちょうこうてい】


那覇(なは)市北西部,安里川に架かる崇元寺橋から,那覇の長寿寺前に至る往昔の海中道路。当時那覇は浮島と呼ばれて島をなしており,この浮島に至る堤を古くは浮道といった。「球陽」によれば,景泰3年(1452)尚金福王の冊封使が来琉する前年,国相懐機が命を受け,神の威力をかりて,安里橋(崇元寺橋)からイベガマまでの長堤を築き,石橋7座と安里橋3座を設けた。この時長虹堤の完成を祈念して神社と長寿寺が建立された。なお,それ以前には冊封使渡来の際,首里~那覇間の海に船を並べて橋としたといわれる(尚金福王2年条)。成化7年(1471)の「海東諸国紀」の琉球国之図では石橋と見える。長虹の名の初見は,崇禎6年(1633)尚豊王の冊封使杜三策の従客として来琉した胡靖による「杜天使冊封琉球真記奇観」で,「寔に相続くこと長く,二三里ばかりなるべし。遠望すれば長虹のごとし」とある。次いで,康煕2年(1663)来琉した尚質王の冊封使張学礼は長虹橋と記している(中山紀略)。「琉球国志略」では中山八景の1つに「長虹秋霽」があり,海中にのびる長虹堤が描かれている。やがて周辺の海は陸地化して潟原となったため,雍正11年(1733)潟原を宅地とし,5つの橋を塞ぎ,長虹堤を短くした(球陽尚敬王23年条)。明治初年を想定して作られた那覇読史地図では,崇元寺橋から七ツ墓の下を通り,美栄橋を渡ってイベガマに至る道に当たるが,道の左右は田である。現在は舗装道路に変わっており,昔の浮道のイメージはない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241036