当蔵
【とうのくら】

旧国名:琉球
方言ではトウヌクラという。沖縄本島,首里城の全域およびその北の安里川左岸の地域。地名は,首里城内の御タウグラ火の神という拝所にちなむ。当蔵は「唐当蔵」の略で,往古から首里城内の下庭御殿の背後にあった厨房をいい,冊封使接待に備えたものだが,のちに廃され,火の神はその名残である(南島風土記)。城の東部の上の毛という丘には,頂に国中城ノアマフレ嶽・アカス森嶽がある。西隣の大中との境界を南北に走る道は,首里城と浦添(うらそえ)城を結ぶ古い道で,安里川への下り坂を安谷川坂と呼ぶ。坂の途中に安谷川御嶽がある。城の北側にある蓮小堀(れんこぼり)は,尚巴志王代(1422~39)に首里城整備のために土を掘り出した跡が池になったものと伝える。池のほとりに第一尚氏の菩提寺である慈恩寺が建てられ,池には慈恩寺橋が架けられた。第二尚氏時代に入り,当蔵は王都の中心地として栄え,王族・重臣の邸宅が並び「御殿ウフサヤ当蔵(御殿が多いところは当蔵)」と謡われた。城から上の毛の一帯には,琉球最大の禅寺円覚寺をはじめ,天王寺・広徳寺・興禅寺・蓮華院・仙江院など数多くの寺院が建てられ,静寂な寺町となっていた。
【当蔵村(近世)】 王府時代~明治29年の村名。
【当蔵(近代)】 明治29年~大正3年の首里区の字名。
【当蔵町(近代)】 大正3年~現在の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241105 |





