当山
【とうやま】

旧国名:琉球
方言ではトーヤマという。沖縄本島南部,雄樋川下流東方に位置する。地名は,藤蔓モドキの生えている山,または平地の森の意か。「おもろさうし」巻1-12,No.12の「きこゑたうやまに 大きみきやけやりよわ(聞ゑ藤山に,大君ぎや気遣りよわ)」の藤山に当たるか。当山のイーシ(江州)バラの元祖布里は,第一尚氏尚巴志王の子で,景泰4年(1453)尚金福王死後の王位継承をめぐって甥の志魯(金福王の子)と争ったが,ともに王位を継承できず,布里は当山に隠れたという。また,次いで国王となった尚泰久王の子も,伯父布里を頼って当山に安住の地を求めた。「由来記」に見える安次富之殿は,尚泰久王の長男安次富金橋の開いたアストのクダの祭場であるが,村のウブガー(産井戸)はそれ以前に赤嶺という人が掘ったアカンミガー(赤嶺井)である。旧暦5月の稲穂祭に謡われるウムイ「稲穂祭之時,当山巫唄」に,「あかみね」「あすとのくだ」「あすとのまきよう」「みねのくだ」などのマキョ名が見える(ウムイ28・31・32/歌謡大成Ⅰ)。
【当山村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【当山(近代)】 明治41年~現在の玉城村の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241123 |





