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渡久地港
【とぐちこう】


沖縄本島北部,本部(もとぶ)半島西海岸,満名川の河口に位置する地方港湾。方言ではトゥグチミナトゥという。南岸に本部町の中心街区がある。湾口広く,また奥行も約1kmと深く,北と南の丘陵で風を防ぐ良港をなし,古くから中国や薩摩を往来する船の避難港として利用された。近世にも沖縄本島北部の各地域ならびに離島と那覇(なは)を結ぶ航路の中継地点として機能してきた。渡久地には本部間切創立以来間切番所が置かれ,行政の中心となり,昭和20年まで役場が置かれていた。明治14年11月の「上杉巡回日誌」に「帆檣林立シ」と見え,港内が山原(やんばる)船でにぎわっていた情景が記されている。その後も名護に次ぐ沖縄本島北部第二の港として栄え,那覇・名護・伊江島などとの間にも航路が開設された。農水産物・生活用品などの移出入で活気をおび,発動機船導入によりカツオ漁業も盛んになった。河口港のため流入土砂の堆積が著しい上,船舶の大型化に伴い浚渫が必要となり,昭和7年から同9年にかけて南北防波堤・物揚場・泊地浚渫・埋立てなどの工事がなされた。完成後は北部随一の良港として,那覇間の航路は黒糖・藍玉・海産物などの積出し,生活必需品類の移入など,地域の産業経済の発展に大きく寄与した。同時に奄美大島(鹿児島県)と結ぶ航路船舶の寄港,鹿児島・宮崎方面の漁船の給水・停泊地としても利用され,暴風時には避難船が数多く入港した。第2次大戦中は日本軍の伊江島飛行場設営のため徴用労務の輸送に使用された。戦時中は貯蔵してあった輸送用燃料弾薬などに被弾し,渡久地周辺の市街地は全戸焼失の被害を受けた。戦後の一時期,米軍の駐屯地として利用されたが,昭和26年これらの施設を琉球造船所が引き継ぎ,造船・機関修理を行った。昭和32年11月19日琉球政府により重要港湾に指定され,港湾管理者は本部町となった。同38年物揚場,同40年泊地が完成。昭和47年5月12日港湾区域の変更とともに港湾管理は本部町から琉球政府に移管され,同年5月15日本土復帰に伴い沖縄県管理の地方港湾に指定された。昭和50年沖縄国際海洋博覧会の本部町開催に伴い,渡久地港エキスポ地区と渡久地新港(現本部港)が新設され,渡久地新港が北部離島への定期連絡船の基地港になったため,現在は水納(みんな)島定期連絡船(みんな丸,19t,1日2便)・漁船・巡視船などの利用に供され,また,荒天時には小型船の避泊地ともなっている。港湾施設の現状は,北防波堤242m・南防波堤115m・泊地(水深4.0m)5万2,000m(^2)・物揚場Ⅰ(水深3.0m)184m・物揚場Ⅱ(水深4.0m)96m・物揚場Ⅲ(水深2.0m)100m・船揚場Ⅰ50.9m・船揚場Ⅱ24m・船揚場Ⅲ10m・船揚場Ⅳ40m。エキスポ港は沖縄国際海洋博覧会の際に,観光船の入港やプレジャーボートの収容,水上ショーの会場として渡久地港の港湾区域内に整備された施設である。現在はグラスボートなどの小型船が利用するほか,BG財団の青少年海洋センターが青少年のための海洋スポーツの訓練場として利用している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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