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登野城
【とのしろ】


旧国名:琉球

方言ではトゥヌスクという。石垣島南部に位置する。石垣四箇の1つ。伝承によれば,昔マタネマシズ・ナアタハツ・平川カワラの3人兄弟がいたという。マタネマシズは石城(いしすく)山にいたが,ある日その妹に神が乗り移り,神は宮鳥山に住み守護すると託宣したため,マタネマシズは宮鳥御嶽(字石垣)を建てて崇敬した。やがて周辺に人々が集まり石垣・登野城両村となったという(由来記・旧記)。登野城の地名由来説は種々出されており,トゥン(殿)とグスク(石垣)にちなむものかともいうが(登野城村の歴史と民俗),確定していない。居住地は東から,ミユトゥパカ・ナリトウナリカサナリトゥノーパカ・ナカヌパカ・ウヤキドウムリィカニムルパカ・キチィパカに区分されていた。ナリトウナリカサナリトゥノーパカは,弘治13年(1500)のオヤケ・アカハチの乱で殺された長田大主の2人の弟,ナレトウ・ナレカサナリにちなむといわれ,乱後に設定されたと思われる。乾隆36年(1771)の明和の大津波後に,ウヤキドウムリィカニムルパカは,その東端に南北に連なる家並みを残し,ほかはキチィパカに統合されたという(同前)。オヤケ・アカハチの乱では首里王府軍の1隊は登野城から攻めた(球陽尚真王24年条・中山世譜)。首里王府軍の帰還に際し,長田大主の妹,真乙姥がこもって祈願した美崎山(のちの美崎御嶽)は海岸近くにある。海岸は美崎浜と呼ばれ,港・造船場として利用されてきた。
登野城村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
登野城(近代)】 明治41年~現在の字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241157