那覇港
【なはこう】

沖縄本島西海岸,東シナ海に面する港湾。古来沖縄の歴史的・文化的門戸だった。那覇埠頭・泊埠頭・新港埠頭および建設中の浦添(うらそえ)埠頭からなる。市が管理する重要港湾で,沖縄県内一の流通拠点である。那覇港が現在の範囲を指すようになったのは昭和47年の復帰以来で,復帰と同時に従来の那覇港・泊港・那覇新港が一元化されて那覇港と称されるようになったが,それ以前は現在の那覇埠頭を指して那覇港と称した。近世以前の古琉球の時代には,中国・朝鮮・東南アジア・日本などとの交易が盛んになり,那覇港の整備も進んだ。湾口の浚渫も何度か行われ,大和口・先島口・唐船口が設けられた。景泰2年(1451)には長虹堤(ちようこうてい)が築かれ,首里の外港としての重要性を増した。嘉靖32年(1553)には屋良座森城が築かれ,さらに三重城も築かれて,防衛面でも強化された。康煕56年(1717)には国場川・饒波(のは)川・久茂地川などに大小の橋を架設すると同時に,土砂の沈殿作用や混砂の沈滞を防止し,水路の通行の便を図るために浚渫工事が行われ,工期1年4か月,工事従事者約7万人のほか,莫大な費用を要した(濬江碑文)。19世紀後半になると年々増大する従来の航路による移出入・輸出入に加え,清の福州・上海・台湾からの航路も開かれたため,船舶・物資の量も増え,人々の往来も激しくなった。当時那覇港修港は県治の主要事業とされたが,明治40年に至ってようやく国費をもって第1期工事に着手,大正5年に竣工した。この結果,1,200t級の船舶4隻が接岸し得る延長125間の木鉄横桟橋のほか,浮標・係留柱などの施設が完成。総工費約83万円。ちなみに大正3年の那覇港出港汽船数459・入港汽船数459,輸入貨物6万3,932t・輸出貨物4万5,650tで,輸出入品の主要産物は黒砂糖が圧倒的に多く,次いで唐米,大豆,白米,泡盛であった(那覇築港誌/那覇市史資料2下)。大正4年には那覇~鹿児島間を結ぶ大阪商船の大義丸が就航した。同10年からは第2期修港工事が始まり,浚渫・改築や諸施設の整備が行われ,4,500t級の汽船を係留できる桟橋などが設けられた。これらの諸施設は沖縄戦で灰燼に帰し,戦後の復興は昭和26年アメリカの復興計画により米軍工兵隊の手で開始された。昭和29年には那覇港北岸が琉球政府に移管され,翌30年には1万t級2隻・5,000t級1隻・1,000t級5隻の接岸が可能な施設が完成。同47年の復帰以来数次にわたる港湾整備計画が続けられ,港湾施設のみならず,周辺の緑地や港湾をめぐる道路の整備が行われている。なお,建設計画が進められている浦添埠頭は新港埠頭の北側,浦添市勢理客(せりきやく)・小湾地先の海面を埋め立てて昭和65年に完成する予定で,内国貿易専用の埠頭となる。5,000t級船舶の係留施設8バースが建設される予定。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241307 |





