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漲水御嶽
【はりみずうたき】


平良(ひらら)市西里にある御嶽。「御嶽由来記」によれば,漲水の波打際に,クイツノ(恋角)・クイタマ(恋玉)という男女2神が天降りして,人間や草木すべてのものを創成して上天した。その跡に石を積み木を植えて御嶽としたという。漲水御嶽には次のような伝承がある。平良のスミヤというところに富貴の人がいた。しかし,子がなかったので,天に祈った結果,美しい女児が生まれた。娘が14,5歳の頃,懐妊のしるしがみえたので,父母がその相手の名を問いただした。娘がいうには,誰とも知らぬ若い男が錦の衣を身にまとい,よい香りを漂わせて閨中に忍び入ると,ただ呆然と夢心地で何事もわからないという。父母は,針に千尋の糸をつけ,男が来たらその髪にさせと娘に教えた。娘がそのとおりにして,翌朝糸をたどって行くと,漲水御嶽の洞に入っている。洞には2,3丈ばかりの大蛇がおり,その首に針が刺さっていた。その夜の夢に大蛇が現われ,われはこの島草創の神恋角の化身である。この島を守護する神を立てるために,汝に思いをかけた。汝は3人の女児を生むであろう。3歳にもなったら漲水へ抱き参るべしと告げた。娘は3人の女児を生み,3年後漲水に行くと,大蛇が御嶽からはい出し,三人の女児は,1人は首に,1人は腰に,1人は尾に抱きついた。やがて大蛇は御嶽に入って見えなくなり,まもなく大蛇も娘も光を放って天に上ってしまった。以来,宮古の氏神として崇敬するようになったという。弘治13年(1500),尚真王が八重山のオヤケ・アカハチの乱を平定した時,その先導として出征した仲宗根豊見親は,漲水御嶽に戦勝を祈願し,凱旋の後,神の加護に感謝して,御嶽の周囲に新しく石垣を築造した(忠導氏家譜正統/平良市史3)。今の石垣は,その時のものといわれ,漲水御嶽とともに市史跡に指定されている。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241477