東仲宗根
【ひがしなかそね】

旧国名:琉球
方言ではアガズナカスゥニ(ズは中舌音)という。宮古島の中央部に位置する。地名のソネは高いところの意で,ムラを指す。宮古島の創世神古意角・姑依玉の供をして天降りした盛加神を祀る盛加御嶽がある。創世神から男神宗達神・女神嘉玉神が生まれ,宗達神が遊楽神の草荘神と結ばれて,東仲宗根を領したという(宮古嶋記事仕次/平良市史3)。洪武23年(1390)中山王に朝貢した宮古の首長与那覇勢頭豊見親は,東仲宗根の盛加越の出身で,彼が20歳の若さで殺され,蘇生するまでの物語が「与那覇せど豊見親のにーり」に謡われる(ニーリ26/歌謡大成Ⅲ)。14世紀頃,宮古の争乱を鎮めた目黒盛豊見親は,東仲宗根の根間の生まれといわれ,かつては墓地もあった。その西隣には,目黒盛の子孫,仲宗根豊見親の屋敷がある。仲宗根豊見親は,東仲宗根を中心に勢力を伸ばし,弘治13年(1500)八重山のオヤケ・アカハチの乱や,嘉靖元年(1522)与那国島の鬼虎の討伐に,宮古各地の豪族らを率いて出兵した。「同人八重山入の時あやこ」によれば,東仲宗根からは「上ひ屋里東里ならとよ」が従軍している(雍正旧記/平良市史3)。仲宗根豊見親は,この功によって宮古の頭に任命された。
【東仲宗根村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【東仲宗根(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241506 |





