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鬚川村
【ひげがわむら】


旧国名:琉球

(近世)王府時代の村名。八重山島入表(いりおもて)間切与那国島のうち。方言ではンデムラという。与那国島南部の中央に位置する。現在の比川集落に当たる。久部良岳からのびる丘陵が,集落の後方と島仲集落の前方に続く。地名は,集落中央を川が流れてナータ浜に注いでいたさまが長い鬚に以ていたことによる。はじめ久部良集落の北側にあったが,のち上里に移り,さらに現在地に移動したという(与那国島の「比川」の地名について)。「両島絵図帳」には,ひけ川村と見え,高60石余。崇禎元年(1628)の八重山島の三間切制移行で,大浜間切与那国村となり,鬚川村は見えず(八重山島年来記/県史料前近代1),与那国島は1島1村になった。その後,乾隆2年(1737)の調査報告によれば,与那国のうち川村として男女40人,村番所のある祖納(そない)村の南方34町36間にあって,村廻り6町35間とある(参遣状/喜舎場家文書)。また,「当時用候表」にも与那国島鬚川村と見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241516